この地上において今 住まいが未来を語り始めた ◇42 住宅評論家 本多信博 最後の結論 自分を取り戻す場
住宅新報 2021年5月25日 号 13面

人が自分を取り戻す場所は往々にして自分の住まいだと思う。ただし、そのためには住まいと住み手の感性が共鳴し、人が自然体で自分の心と向き合える場でなければならない(写真提供=アールシーコア)
人が住まいを求めるのは、
「幸せ」という目に見えないものを、形にして手に入れようとする行為である。だとすれば、住まいはハードではなく、そこでどんな暮らしが実現するのかというソフトが重要になる。つまり、所有価値より利用価値を優先する志向が必要だ。
とはいえ、昨今の「リバースモーゲージ」や「自宅のリースバック」商品に対する需要の高まりからも分かるように、高齢になってからの自宅の所有(資産)価値が維持されていることも重要である。「人生100年時代」を迎え、寿命が長引くほど老後の資金調達が厳しくなる。
しかも、生産年齢人口が減少し、超高齢化が進む今後の日本では、年金が潤沢に支払われていく可能性はゼロに等しい。最悪の場合には、支給される年金が減額される可能性もある。それは消費を大きく減退させるので、日本経済のあてどなき衰退につながりかねない。そして、東京などの大都市といえども土地価格の継続的下落を招きかねないだろう。
日本の活路
では、日本社会の活路はど
こにあるのだろうか。日本がよみがえる唯一の道は国民が「幸せ」という目に見えないものの正体を目に見える形ではなく精神的に共有できるかどうかにかかっている。
おそらく今も日本人の多くが、「幸せ」は金銭と物質的豊かさだと信じている。しかし、本当にそうであれば、個人金融資産の7割を55歳以上が保有し、60歳以上の持ち家率が8割を超える日本で、なぜ日本人は「幸せ」ではないのだろうか(筆者にはそう見えるが、間違いか)。
人間の幸せは金銭的豊かさではなく、物質的に恵まれることでもなく(もちろん、それらはあるに越したことはないが)、心の充足にある。その心とは何か。意識と感情である。人間は意識の一部を感情として外に表出するが、そのときそれを見た人間は自分と同じような〝心〟が他者にもあるのだと認識する。
では、その「心の充足」とは何か。それは「自分が他者ではなく、確かに自分である」という確かな感覚である。問題は、どういうときに「自分は自分である」と強く感じることができるかだろう。
スマホやゲームに熱中しているときだろうか。スポーツに汗を流しているときだろうか。心の内を推察するのは難しいのだが、あえて表現すると「自分は自分だけの世界を見ている」と思えるときではないだろうか。
見えている世界
サラリーマンも、芸能人も、スポーツ選手も、政治家も、学者もそれぞれの世界で生きている。しかし、同じ世界(学者であれば同じ研究分野)に生きている者同士であっても、その世界がどんなふうに見えているかは、一人ひとり違うのではないか。そして自分が見ている世界に、それなりの価値と自信を持ち得たとき、人は自分を自分と感じ、人生を楽しむことができるのではないだろうか。
しかし、これは自分の殻に閉じこもるということでは断じてない。人間は他者とは違う自分独自の見方を持ち得たとき、はじめてこの世に自分の存在価値を見いだすことができる。他者とは違う自分だからこそ、他者のために自分の力を使うことができると確信できるのだ。それが自分の心を充実させるという、信じられないほど繊細な生き物が人間である。
当たり前のことだが、人間
はこの世にたった一人で生きているわけではない。だからこそ、悩みもあるし、喜びもある。他者との関係が自分のすべてであると気付いたとき、人間はその瞬間から幸せになることができる。
人間がそうした素直な気持ちを取り戻すことができるのはなぜだろうか。それは人間も自然の一部だからである。そして、人が心を自然体に戻すことができる場があるとすれば、それが住まいである。 だから、住まいは住み手の価値観と共鳴し、住み手の心を癒やし、住み手の感性を研ぎ澄ます場所でなければならない。
(住宅新報顧問)
終わり
※次週からは新シリーズ「彼方の空」を連載します。






















