残したい情景~文化的歴史的所産を巡る~ 第31回 大分県臼杵市 一般財団法人 日本不動産研究所 貿易と醸造で栄えた「町八町」 江戸、昭和の人文的資源を残す
住宅新報 2019年12月10日 号 16面
大分県の西部、大分市の南西側に臼杵市はある。臼杵は「うすき」と呼び、その由来は臼杵古墳の入口に立っている武人の石像が臼(うす)と杵(きね)に似ており、「うすきね様」と呼ばれていたことから「うすき」という地名ができたと言われている。「豊後国風土記」において海人の郡と言われるだけに天然の良港に恵まれ、フグをはじめ海産物の豊富な地域である。
残る江戸期の町割り
戦国時代に豊後、豊前、筑前、筑後、肥前、肥後を支配したキリスタン大名である大友宗麟が臼杵に城を築き、そこから城下町が始まった。この時代には、南蛮船や明船が寄港し豊後府内(現大分市)と共に国際貿易都市として栄えた。その後江戸時代初期に稲葉氏が美濃の国より、商人たちを引き連れてやってきた。その当時の町割りが、現在もそのまま残っている。それが「町八町」と呼ばれる地区である。唐人町・畳屋町・横町・浜町・掛町・本町・田町・新町からなり、当時のままの地名で残っている。「町八町」地区では江戸末期から明治時代には醤油や味噌及び地酒などの醸造業を中心として発展していった。これは臼杵商人の気質と関係があり、臼杵商人は質素・倹約・勤勉で財をなしたと言われている。























