残したい情景~文化的歴史的所産を巡る~ 第11回 千葉市花見川区 一般財団法人 日本不動産研究所 輝ける旧検見川無線送信所 国際放送の先駆けの舞台
住宅新報 2019年7月16日 号 12面
土地区画整理事業が進む閑静な住宅地にいかにも堅牢で、しかし、どことなく凝った設計の建物がポツンと立っている。場所は、千葉市の花「オオガハス」が発掘された花見川区検見川町、建物はコールサインJ1AAで名高い、旧検見川無線送信所である。
初期モダニズムの代表
建物の設計は、逓信省営繕課に勤務していたモダニズム建築の先駆者、吉田鉄郎氏によるもので、ほかの作品に東京中央郵便局旧局舎、旧馬場氏牛込邸(現最高裁判所長官公邸)がある。検見川送信所は初期モダニズムを代表する建物として、日本の近代建築の再評価のための活動を行う国際的団体「ドコモモ・ジャパン」の2007年度の重要建築にも選定されている。
遡ること1923年2月、第46回帝国議会において逓信省の大無線通信計画に関する予算がつけられたが、同年9月1日に発生した関東大震災により国家財政が逼迫し計画が変更される中、検見川送信所の建設が決まり、震災の教訓もあり艦砲射撃にも耐えうると言われた強度を備えて1926年に竣工した。解体費が高額という理由で取り壊されず、現在まで残ったのもその強度のおかげであろう。3月の落成式は逓信大臣も参列して盛大に行われ、植樹式も行われた。現在、建物の周りで生い茂る樹の一部はそのときのものである。
検見川送信所は、日本最初の真空管送信機を兼ね備えた送信所として誕生した。第1号機である英国製のマルコーニ送信機は、約2万4000坪の土地購入費と建設費を合わせた倍近い高価なものだったという。
業績としては1927年、日本初の標準電波が発射されたことでも有名であるが、それ以上に有名なのが浜口雄幸首相による海軍軍備縮小記念放送である。1930年、日英米三国の海軍軍備縮小条約が締結された記念として、それぞれの国の大統領と首相が交互にラジオで演説し合う国際交歓放送のオファーがあり、参加するならば米国向けのアンテナを立てる必要があるため検見川送信所に話が持ち込まれたのである。
今では廃墟、心霊スポット 1週間以内に高さ40メートル以上の電柱を6本建てる必要があった。「日本の名誉、逓信省の名誉、検見川の名誉」のため電柱を立て、アンテナを設営し、無線送信機J1AAを調整して放送当日を迎えた。関係者のみならず検見川町民も協力して必死に頑張ったのである。浜口首相の8分間の演説が無事終了したのが10月27日、日本の国際放送の先駆けであった。
このように大正末期から昭和にかけて千葉県の誇りであり、世界中に名をはせ、無線通信史に輝ける業績を残した検見川送信所が、多くの人に忘れ去られて、今では廃墟、心霊スポットとして取り上げられることが多いのは誠に残念である。
今後については、千葉市としても保存、利活用の方向で検討しているようであり、地元町内、「検見川送信所を知る会」等の有志団体、建築家等から、様々な意見があるが、まずは、その歴史を知ることから始まるのではないだろうか。
(千葉支所/不動産鑑定士・小出修身)
























