幸福論的 『住宅論』 住宅評論家 本多 信博 ◇48 新・家族主義 (下) 〝共同作業〟への郷愁に賭ける
住宅新報 2019年6月18日 号 11面
連載: 幸福論的「住宅論」

老若男女が暮らす「多世代共生型」シェアハウス。右から2人目が山本久雄会長(写真提供=日本シェアハウス協会)
戦後の家督制度廃止で、日本では「家族」の意味が大きく変わった。父親(戸主)を筆頭にした縦の関係から、家族内の個人はすべて平等で自由つまり横の関係になった。基本的人権の台頭である。
消えゆく〝先祖〟
その結果、核家族化が急速に進み、先祖との関係も希薄化していった。団塊世代がこの世を去る頃には、お墓を守る思想も形態も一変しているのではないか。〝先祖代々〟という言葉が一般家庭から消え去っていることは確かだろう。
先祖という概念を失った人間にとって、最も強固なこの世の絆はどこにあるだろうか。これまで家族の絆が最強だったのは連綿と続いてきた先祖を敬うというバックボーンがあったからだ。そのバックボーンを失えば、家族の絆さえ他の諸々のつながりの一つに過ぎなくなる。ただ、今の日本はそれを嘆いているときではなさそうだ。
5月29日、住宅新報の会議室で一般社団法人日本シェアハウス協会の設立10周年を記念する座談会が開かれた(来週号にその概要掲載予定)。この10年間で同協会の会員(個人含む)が、北海道から九州まで182社に拡大した。シェアハウス供給室数も全国で07年の3900室から17年には約2万5500室と6.5倍に拡大している(日本シェアハウス協会調べ)。
同協会の山本久雄会長によると「今も全国から毎週のようにシェアハウスの開業相談が舞い込む」という。なぜ、こんなにもシェアハウスに対するニーズが高まっているのだろうか。また、近年は空き家活用を考えている個人オーナーからの問い合わせも増えているという。同会長は「今が物件を供給したい側と利用者側をうまくマッチングさせるチャンスだ」と話す。
シェアハウスでの暮らしがどんなものなのか。座談会を通して筆者に見えてきたのは想像していたよりも「本当の家族付き合いにかなり近い」という印象だった。それは血が繋がっていないからこそわだかまりがなく、また同年代もいれば世代の異なる人間も同居していることからくる、ある種の気安さと安心感であるような気がする。
もちろん、シェアハウスの規模(定員数)や、どんなコンセプトのハウスなのかによっても雰囲気は異なるだろう。ただ、出逢うまでは見ず知らずだった他人同士が一つ屋根の下で暮らすシェアハウスの魅力には共通する何かがあるはずだ。それはやはり、農耕民族をその源流とする日本人のDNAに書き込まれた共同作業への郷愁なのではないか。
大切な役割分担
家督制度が廃止されたとはいえ、戦後しばらくの間は一般家庭にも家族それぞれの役割があって、家族は共同作業によって結ばれていた。長男・長女は弟や妹の面倒を見ること、子供は親の庇護を受ける代わりに家事を手伝うこと、父親は一家を支え、母親は一身を賭して子供を間違った道に向かわせないこと。
しかし、核家族化の進展で父と息子、母と娘は友達関係のようになり、夫婦共稼ぎが常識化すると家庭における父親と母親の役割分担が不明確になり、少子化で長幼の序という観念もなくなった。日本の家庭から役割分担が消えたのである。
しかし、シェアハウスという疑似家族にはそれが明確に定められている。シェアハウスにおける管理人やオーナーはいわば父親や母親のようなもの、入居者同士は兄弟姉妹で、年齢や入居歴の長短で長幼の序が自然に定まる。食事、ゴミ出し、清掃などの当番制で家事についての明確な役割分担も決まっている。
また、共有スペースにおける入居者同士の交流を重視するシェアハウスでは、各人の個室にテレビを置くことを禁止している運営会社(ボーダーレスハウスなど)もある。現代の一般家庭はあまりにも過保護で、子供部屋それぞれにテレビがあるのが普通だが、リビングに1台しかなかった頃のチャンネル争いこそ、家族の本当のあり方ではなかっただろうか。
家庭内における役割分担と決まりごとに対する郷愁がシェアハウス台頭の陰にあるのだとしたら、日本の未来に賭ける価値はまだ十分に残されている。 (住宅新報顧問)






















