幸福論的 『住宅論』 住宅評論家 本多 信博 ◇40 住まいとは何か 生きている理由を感じる場所
住宅新報 2019年4月23日 号 17面
連載: 幸福論的「住宅論」

住宅を購入するとき人は、意識するしないにかかわらず自らの感性で選んでいる
単なる拠点か
「住宅を生活のための拠点」
と言ってしまうと、住宅と生活とは別物で、住宅は生活を維持していくためのツールということになる。その時々の「ライフスタイルに応じて住まいを選択する」と言った場合も同じことであろう。
それに対して、住宅はむしろ生活の一部と考える。更に言えば、住まいの選択は自己表現そのもの、住まいとは人格そのものではないかと考えるのが本住宅論のテーマである。
若い人が地方から東京に出てきて、初めて一人暮らしをすることになったときのときめきを想像してみよう。とにかく主目的は〝一人暮らし〟であるから、その拠点となるアパートやマンションは二の次である。結婚して共働きをすることになった夫婦が、2人の職場から共に通いやすい立地にマンションを求めるときも住まいは拠点化する。
住まいがもし、その程度のものでしかないのなら、「幸福になるための住まい論」をわざわざ展開する意義などないであろう。せいぜい住まいの選択に当たっては日々の生活に支障をきたすような問題がないかどうかをチェックすればそれで済むからだ。
住宅が生活のための単なる拠点なら、そしてその時々のライフスタイルに応じて選択するものでしかないなら、住まいが「持ち家」でなければならない必要性はおそらくないだろう。ただ、現実論としては、住宅の質、環境、性能面などから「賃貸住宅」では条件が満たされることが少ないため持ち家を選択しているケースが案外多い。
しかし、今後はやや状況が変化してくる可能性もある。小規模世帯(一人世帯含む)の増加が予想されているため、もし我が国の賃貸住宅市場に、コンパクトでも良質な環境や設備、機能性を備えた住宅が数多く供給されるようになれば、検討対象が分譲から賃貸へという、これまでとは逆の流れが住宅市場に生まれることは十分予想されるのである。とはいうものの、住宅は本当に生活のための拠点に過ぎないのだろうか。
生活の基盤
国土交通省が近く公表する「新・不動産業ビジョン」は住宅を「人生の大半を過ごす欠くことのできない生活の基盤」と表現している。生活のための拠点と、生活の基盤は意味が異なる。
基盤というからには生活の一部、しかもその根底をなしているということである。では生活の根底とは何か。根底とは寄って立つものであるから、住む(生活する)人の思想そのものということになるのではないか。つまり、価値観である。なんのために生きているのかという思想(価値観)こそ、生活の根底をなすものと考える。
実は住まいについて考察する現代的意義がそこにある。人間はなんのために生きているのかを知りたいからだ。誰もが幸福になるために生きているのだとすれば、幸福とはなにかを明らかにしなければならない。
というわけで、どんな家に住んでいるかは本来ならその人の思想(価値観)を表すことになるのだが、現実はそうでもない。なぜなら、現代社会では住まいが生活の基盤ではなく、生活のための拠点として提供されていることが多いからだ。
それはともかく、人の思想や価値観はどこから、どうやって生まれるものだろうか。思想や価値観は言うまでもなく後天的に身につけるものである。ということは育った環境や境遇が影響するから、自分以外の人の思想や価値観からも大きな影響を受けることになる。
感性で決める
では、その影響の度合いや、受け方を決めているものは何か。そこには感性という先天性の存在を認めざるを得ないだろう。そうでなければ同じ環境や境遇に育った者は、同じ思想・価値観をもつことになる。ただ、感性の先天性は否定できないとしても、生まれてきた子供にとって最初の環境である両親や住まいの影響も無視できないのではないか。だから、両親のもと幼少期を同じ家で育った兄弟には各人の人格とは別に共通する何かがある。それは生きることや人生に対するある種の見識または諦念、闇からの無言の教示のようなものである。 (住宅新報顧問)






















