近代建築の三代巨匠はル・コルビュジエ(仏)、フランク・ロイド・ライト(米)とミース・ファン・デル・ローエ(独・1886~1969、以下ローエ)です。ローエはオランダに隣接したドイツの街アーヘンに生まれました。父親はオランダ系の石工で、暖炉や暮石の施工を仕事にしていました。ローエは正式な建築教育を受けることなく、職業訓練学校を卒業後は漆喰装飾のデザインを仕事にしていました。その後、地元の建築設計事務所に勤務し、小住宅の設計を行いますが、この設計が認められ1908年になると、既に名声を確立していた建築家ペーター・ベーレンスの事務所に製図工として入所でき、ここで建築を基礎から学びました。
13年に独立して、アダ・ブルーンと結婚します。アダの紹介でベルリンに住む富裕層の住宅設計を手掛け、次第に名前が知られるようになりました。バウハウス運動の母体となったドイツ工作連盟が主催したシュトゥットガルト集合住宅展ではベーレンス、グロピウス、コルビュジエ、タウトなどと共に実験的な作品を設計しています。
ローエの名前を不動のものにしたのが29年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館です。鉄とガラスという素材でシンプルに構成された空間はモダンデザインの方向性を示す画期的なものでした。同館のために設計されたスチールとベルトで構成された椅子は「バルセロナチェア」と呼ばれ、現在でも生産されています。グロピウスの推薦を受け、30年からバウハウスの第3代校長を務めましたが、ナチスによる迫害を受けたため、アメリカに亡命・帰化しました。シカゴのイリノイ工科大学建築学科の主任教授を務め同大学のキャンパス計画など、多くの作品を残しました。
ローエのデザインコンセプトは「Less is More」(より少ないことはより豊かなこと)です。「Simple is Best」は「Less is More」の結果として、日本人の好きな「余白の美」と通じるところがあり、現代のミニマルデザインもその成果といえます。「Less is More」を具現化した代表作がファンズワース邸です。ファンズワース邸は自然に囲まれたイリノイ州プラノという場所にあります。地上から1.6メートルほど浮いた薄い床と、水平の屋根が8本のH型鋼で支えられており、自然を遮るのは大きなガラス板だけです。限りなくシンプルなワンルームの住宅で、居住空間は「ユニバーサル・スペース」と名付けられています。
この建物はローエの恋人であったエディス・ファンズワースという女医のために建てた週末別荘で、51年に完成しました。しかし、建設費が当初予算を大幅に超えたため、ファンズワースと訴訟沙汰になりローエが勝訴しています。
「Less is More」はアメリカ庶民のように分厚くてゴテゴテとした加飾デザインを好む人たちからは「Less is Poor」(より少ないことは貧しいだけ)と皮肉られているようですが、ローエの建築哲学にはもう一つ「God is in the detail」(神は細部に宿る)があります。装飾性を排し、シンプルでありながらリッチな空間にするためには、細部デザインが重要になるということです。
例えば、照明器具を視界から消そうとすれば、細かい建築的な工夫で照度を得る必要があり、ディテールの設計が重要で、デザインのキモになるわけです。
(建築家・中村義平二)























