終戦後、深刻な住宅不足を補うために「最小限住宅」という考え方が多くの建築家から提案されました。とにかく戸数を造って不足を補うのが目的で、池辺陽は片流れ屋根の「立体最小限住宅」(1950)を、増沢洵は最小限住宅の自邸(1952)を設計しました。
いずれも延べ床面積は9坪(30m2弱)でしたが、構造部材の使い方は合理性を追求したモジュールシステムに乗っており、キッチンや浴室、トイレも標準装備されていました。他にも清家清、広瀬健二、篠原一男などがプロジェクトを発表するなど、50年代は戦後復興に呼応したミニマルハウスの時代でした。
日本の伝統的な美意識には「小さきもの」を愛でる気風があり、茶室や盆栽、根付けなどはそうした嗜好の反映ともいえます。それゆえ、最小限住宅という言葉に多くの建築家が反応したと考えられ、50年代以降も折に触れて噴出する底流のような建築思想の一つになっています。























