「揚屋(あげや)」とは、江戸時代における遊郭建築の一つです。代表的な建物に、京都島原の「角屋(すみや)」があります。謹厳で伝統的な茶室や寺社建築が一方の日本建築とすれば、豪華で艶めいた空間が特徴の揚屋はもう一方の日本建築といえます。
最高位の遊女と上流客
江戸時代初期の遊女屋は市内に散在しており、いわゆる「(遊女を呼び寄せる)町売り」が中心でした。しかし風紀上と管理上の問題から、天正年間(1589年~)になると、お上の命令で元吉原に遊女屋が集約され、公許の遊郭が形成されました。このため貴人や豪商など、上流の客も吉原まで出向かなければならなくなりましたが、娼家に直接足を踏み入れるのがはばかられることから、中間的な場所として「揚屋」が生まれました。客は揚屋に花魁を呼び、一時を過ごすことができたのです。























