東日本大震災から4年―― 復興への歩み、着々と 釜石で最大の公営住宅
住宅新報 2015年3月10日 号 1面
新日鐵住金・新日鉄興和不 早期整備を最優先
「明治の三陸大津波と昭和(8年)の津波、(戦時中の)艦砲射撃。災難を地元と共に乗り越えてきた。今回もこのような形で復興に携わることができ、大変嬉しい」。1880年に官営製鉄所として操業を開始して以来の歴史を振り返りつつ、新日鐵住金の妙中隆之釜石製鐵所長が竣工式で述べた。
震災後、同社は新日鉄興和不動産(東京都港区)と共同でタスクフォースを立ち上げ、「復興公営住宅整備計画」を釜石市に提出した。対象地は、社宅やテニスコートだった新日鐵住金の所有地約1万1954.54m2。ここに新日鉄興和不動産が復興住宅を建て、土地を含めて釜石市が買い取り被災者に賃貸するスキームだ。市の内陸部に位置し、津波の到達地点から離れた「安全性の高いエリア」(新日鉄興和不動産)である。12年9月に市と両社の3者で覚書を締結し、翌10月には第1期が着工した。
コミュニティを維持
一連の計画では、「とにかく早期整備を重視した」(同社)。被災した各所は現在、インフラや防潮堤の復旧段階にあり、資材や職人の確保が困難な状況だ。特にRC造の建築に関しては「コンクリートが納入されず、予定通りの工期で仕上げるのが難しい」(同)。そこで骨格の部材を工場で制作し、現場作業を極力少なくできる工法を選択。高層棟は鉄骨造、低層棟はスチールハウス(薄板軽量形鋼造)工法である。こうして、第2期は着工から約1年で完成(関連記事「低層棟はスチール工法 独身寮でも導入進む」)。耐震性を確保しつつ、工期短縮という最優先課題に対処した。総事業費は約51億円。
「避難所ではコミュニティの維持管理が課題だった。それでもようやく隣近所との付き合いが生まれたと思ったら、仮設住宅への移動でバラバラになり、そこからまた(復興住宅への入居や自宅再建で)分断されることになる」(野田市長)。復興に向かいながら、反面ではコミュニティを維持する困難と直面してきた釜石市。市の意向を汲み、復興住宅の敷地や建物内には入居者同士の交流を促す仕掛けが随所に散りばめられた。
特筆すべきは、隣戸を仕切る隔て板を取り払った「コモンバルコニー」。1LDK住戸に採用した。入居者間の気軽なやり取りを促すと共に、高齢者や単身者の孤立を防ぐ狙いがある。このほか一部の棟では共有テラスや、棟と棟をつなぐ渡り廊下を設置。中庭には入居者以外の地域住民も利用できる集会施設を建て、「生活支援の拠点」(釜石市)に位置付ける。
入居倍率は2~3倍
入居開始は3月中旬から。13年に実施した入居者の抽選では、倍率が2~3倍に上ったという。賃料は公営住宅法に基づき、世帯収入などによって決まる。なお、釜石市では計1300戸の復興住宅の建設を計画しており、今回の上中島町を含めて年度内に370戸が完成予定。今後2年間で完了させる方針だ。
応援住宅で生活を再建 ナイス 未来を考えた商品
仙台駅から車で30分弱の、若林区荒井東にオープンしたモデルハウス。外観から「平屋」と認識して玄関ドアを開けると、2階に続く階段が現れた。階上には、一続きの空間が左右に広がる。広さは約24畳、天井高は270センチ。ナイスが供給する「フェニーチェホーム」で最も人気のある、その名も〝2階のある平屋〟プランの「メザニン」だ。
フェニーチェは当初、高齢の夫婦を主な購入者層と想定し、平屋プランのみが商品化された。室内もバリアフリーで設計され、室内扉はすべて引き戸。間取りは区切りのない回遊型で、約16坪とコンパクトに収めた。しかし時が経つにつれて、「子どもや孫が泊まれる部屋や収納スペースが欲しい」といった要望が増加。また同じ被災地でも、県が違えば持ち家に対するニーズが異なることも次第に分かった。ラインナップを拡充し、現在の基本プラン数は70を超える。
住まいの原点を重視
ナイスは阪神淡路大震災を契機として、「命を守る」という住まいの原点を改めて重視。専用の接合金物と構造用集成材を組み合わせて耐震性などを確保した「パワービルド工法」による供給を、95年から開始した。同工法に基づき、耐震等級や省エネ対策等級など、住宅性能表示制度の4つの最高基準をクリアした企画型住宅「パワーホーム」を09年に開発。「過度なデザイン性よりも、安全性の担保を第一として無駄な部分を取り除く」(フェニーチェホーム東北営業推進部の大川一司部長)発想で家づくりを進めてきたという。
こうした歩みの中で、11年3月11日を迎えた。被災地への貢献を掲げ、応急仮設住宅約1000戸を建設。更に仮設から自宅の再建へと進む被災者に向けて、パワーホームを土台に太陽光発電を搭載した、フェニーチェホームの販売を開始した。
現地に根を張る
復旧から復興と、段階に応じた取り組みを展開する同社。それができたのは、震災直後から被災地に根を張って活動してきた社員たちが、移り変わるニーズをつぶさに読み取ってきたからだ。仙台市若林区の住まいるCafe大和町の小川勝課長は、11年秋に被災地入り。冬からは気仙沼に住居も移した。事務所やモデルハウス向けの物件探しに奔走し、仮設で暮らす被災者と接する中で「自転車の歯車が、ようやく回り出す様子を見てきた」(小川課長)。
それは震災から1年が経った頃だ。プライバシーが確保されにくい仮設での暮らしで、当初は自宅の再建や引っ越しの話も「隣に聞こえてしまい、堂々と話せない」という声が少なくなかったが、「『1年経つのだから、未来のことを考えなければ』という空気が生まれ始めた」(同課長)。小川課長自身、前向きな変化に喜びを感じつつ、一方で「若い世帯が出て行き、仮設がお年寄りばかりになる光景はやはり辛いものがあった」(同)と振り返る。それもあって、フェニーチェは「お年寄りが住みやすい間取り」(同)をコンセプトに設計。実際、沿岸部での購入者層の年齢は60~70代が中心で、80代もいたという。そこからニーズの広がりを受け、品揃えを増やしたのは前述の通りだ。最近では津波の被災者に限らず、仙台市中心部などで一般の一次取得層からの引き合いも増加。これまでに約400戸供給している。
「災害復興応援住宅」という位置付けを踏まえると、フェニーチェの新規供給はやがてピークを迎えることになる。同社では将来的に、メンテナンスやリフォームに力点を移していくことも視野に入れているという。地元企業と合弁会社も設立しており、引き続き協力しながらフェニーチェのアフターフォローを手掛けていく方針だ。

























