どの業界にも普通は使わない言葉や、普通に使う言葉だとしても一般とは意味が異なる業界用語があります。奈良時代から連綿と続く建築業の世界はそういった意味で、業界用語の宝庫とも言えます。
例えば「朝顔」です。ビルの建設現場などで足場よりも外側に張り出して、軽微な落下物などを受けるために、斜め上向きに取り付けられているパネルやネットを「朝顔」と呼びます。見た目が上向きに咲いた朝顔に似ていることが名前の由来です。
見なくなった「朝顔」 また、男性用の小便器も「朝顔」と言います。最近では地方の老舗旅館や料理屋でしか見なくなりました。昭和中期までは一般家庭でも小便器と大便器を分けるのが一般的でしたが、水洗設備の発達によって朝顔は姿を消し、公共施設などにある一般的な男性用小便器に変わりました。老舗料亭などのトイレで凝った染め付けの芸術的な小便器などがあると萎縮してしまいそうです。
下ネタついでに言えば「尻割り(ケツワリ)」というのがあります。これは建築業界だけでなく映像業界などでも使われていますが、契約を履行せず、仕事の途中で逃走してしまうことを指して使います。
江戸時代の封建的な社会では一方的に不利な条件で仕事を押し付けられることが多く、「尻割り」する職人が少なくありませんでした。しかし、一回でも「尻割り」をすると、その元請けの息のかかった仕事には二度と使ってもらえず、地方の狭い社会では流れ職人になるしかありませんでした。落語では逃走した職人に「この野郎、ケツワリは許さねぇぞ」と元請けが責めると、職人が「ってやんでぇ、ケツは元々割れてんだよ」と返すのがオチです。
適当な板切れや角材に一定の寸法を記したものを、「馬鹿棒」と言います。例えば、床から一定の高さに横材を取り付ける場合など、馬鹿棒を当てるだけで所定の高さが容易に示されるため、現場ではよく使われる定規の一種で、「馬鹿定規」とも呼ばれます。名前の由来は誰でも同じ長さに測ることができ、間違いようがないことから来ていると考えられます。
ボルトなどを通すための穴で、直径をボトルよりも大きめにしたものを「馬鹿穴」と呼びます。馬鹿穴の目的は、不正確な寸法取りや取り付け部材のズレが生じても、ボトルを通すことができるようにするためです。寸法公差が大きくなるので、将来的に部材同士がズレたり、ボルトの緩みを誘発する可能性があります。したがって、重要部材への馬鹿穴加工は厳禁ですが、管理の緩い現場ではお構いなしに馬鹿穴を開けている例もあります。また、熱などによって伸縮率の大きい部材には、あえて馬鹿穴を開けて、伸縮による部材の破損を回避する場合もあります。
建築業界だけでなく、食品業界でも「風邪をひく」または「馬鹿になる」という表現をします。例えば、小麦粉などに「風邪を引いてて使い物にならない」という場合は、小麦粉が湿気を含み、変質してグルテンが所期の性能を発揮しない状態を意味します。
建築業界ではセメントや石膏に「風邪をひく」を使います。モルタルになりにくい風化したセメントや石膏を、「風邪をひいている」と言います。「風邪をひいている」と凝縮力が落ち、硬化後の強度が低くなります。風邪をひかないようにするためには、通風を避け、乾燥した場所に保存します。また、いったん開封したセメントは使い切るか廃棄します。
(建築家・中村義平二)


















