幸福論的 『住宅論』 住宅評論家 本多 信博 58/100 住まいは時代の鏡 日本人の心をどう映すか
住宅新報 2019年9月3日 号 13面
連載: 幸福論的「住宅論」

住まいはその時代を映す鏡である。と同時に、そこに住む人の心を映す奥深い場所でもある
「住まいは人なり」と吉田兼好は言ったが(『徒然草』第十段)、すべての住まいがそこに住む人の人柄を偲ばせると言ったわけではない。「住んでいる人の人柄がなんとなく伝わってきたり、住んでいる人にいかにも似つかわしいなあと思える住まいほど風情があって興味を引かれるものはない」と言ったのである。 とはいえ、日本人独特の感性が、住まいというハードを見て、そこで暮らす主(あるじ)の人柄や心情を汲み取るセンスを育んできたことは間違いない。その命脈は現代の住宅にも受け継がれている。
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ITなどの技術革新による時代の変化を察知し、〝住まいのありかたを変える〟というのが、昨今の住宅メーカーやマンションディベロッパーのミッション(使命)となりつつあるように感じる。住まいが人の暮らしやその考え方と密接に関わるものである以上、それは当然とも言える。 たとえば、現代の住まいの多くがスマート化やIoT、AI化などを進め、省エネ・省力化(家事)、セキュリティやアメニティなどの推進を図っているのは、現代人の多くが利便性、機能性、快適性などの追求に強い関心を抱いているからである。
世界を覆う焦燥感
ただ、時代の変化は技術革新によるものだけではない。日本をトップランナーとする超高齢社会への突入、日本における急激な人口減少と社会保障費増大問題、先進国間の貿易紛争や軍拡競争など、人類の英知が枯渇し始めたかのような焦燥感が日本はもちろん、世界を覆い始めている。
中でも超高齢化問題では、日本は人類未踏の領域に足を踏み入れ始めている。50年、100年先を見越した〝人口構造再生プロジェクト〟を今すぐスタートさせなければ、日本の未来は高齢化率約4割という構図から抜け出すことができない。
そこで、まず何から始めるべきか。思い出していただきたいのは、「住まいは生活の基盤」という言葉である。人の暮らしが住まいの上に成り立っているということは、住まいのあり方が人の暮らしを規定している部分も、それなりに大きいということである。
更に言えば、人は幸福を求めて生きているのであり、その暮らしに〝希望〟や〝幸福〟を抱いてこそ子孫を残そうとする。そして、日本人は先週号(8月27日号11面)で紹介したごとく、世界でもまれにみるほどの〝慎ましさ〟を持つ民族である。限りがないといわれる人間の物質的・金銭的欲求についても〝足るを知る〟ことを美徳とする民族である。日本人は、生活の隅々に自然の美を取り入れ、そのほのかな充足感にも幸福を見いだすことができる。
だからこそ、生活の基盤である住まいとそのあり方を見直すことで、得体の知れない焦燥感や、未来に対する漠然とした不安を乗り越えることができるのではないか。
長寿までもが不安に
日本は今や世界一の長寿国である。ただ、その長くなった人生をどう生きるかについては日本人(特に高齢者の多く)が戸惑っているかのようにも見える。日本人の精神性は伝統的に、働くことを人間の〝善〟または〝美〟と捉えてきた。その価値観は戦後の高度経済成長を経ても、今なお進展する高密度な都市化の渦中にあっても決して揺らぐことはない。
しかし、その価値観を最も強く共有すべき家族という共同体が揺れている。家族とは何かといえば、人間関係の基本である〝情愛〟が最も濃い間柄であるが、そこで今何かの異変が起こっている。それどころか、かつては普遍のものと思われた家族という価値観さえも揺らぎ始めている。
だから、今の日本を見ると高齢者に限らない。日本人全体が人への思いやりを失い、義理を欠いた味気ない人生を送っていることにさえ気付かずにいる。若者は人前での礼儀作法を知らず、年長者を敬うことも知らない。
戦国時代、最も義を重んじた武将、上杉謙信は義とは何かと聞かれ、こう答えている。「義とは人が人としてあることの美しさよ」。〝インスタ映え〟もいいが、日本人がその心映えを失えば、この国の未来は深い迷路にはまっていく。 (住宅新報顧問)

















