「長生きをしてよかった」と多くの老人が思える社会をつくるためにはどうしたらいいのだろうか。もし、これからの日本が「人間は長生きなんかするものじゃないな」と多くの老人がため息をつく社会になっていくのだとしたら、この国は二度目の敗戦をしたことになるのではないか。なぜなら、戦後再出発した日本は、アメリカ流の民主主義(個人自由主義)と経済合理主義をお手本に経済成長を遂げてきたのだから。そうやって手に入れた物質的な豊かさの代わりに、戦前までの日本人が持っていた礼儀作法、躾などの徳を失った。教育勅語にあった「恭倹己を持す」という言葉も死語になった。人としての徳を失ってしまった結果が今日的社会の退廃を招いたと思うからである。
わびしい独居
老人の一人暮らし世帯が増えている。その結果が空き家の増加であり、孤独死の増大でもある。70、80歳という年齢になって一人暮らしをする侘びしさや不安について、本人は決して人に言わない。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、後期高齢者(75歳以上)の単身世帯数は30年には470万世帯を超えるという(グラフ参照)。
一人暮らしのため誰にも気付かれずに死んでいく孤独死についての正確なデータはないが、年間2万~4万人というのが一般的数字である。団塊世代(47~49年生まれ)が全員後期高齢者になる25年には10万人を超えるのではないかという予想もある。
有料老人ホームや特別養護老人ホーム、あるいはサービス付き高齢者向け住宅などに入所している場合にはそのようなリスクはないが、東京などの大都市ではそうした施設の不足が深刻な問題となっている。いわゆる一人で自宅にしがみつくしかない〝介護難民〟の増大である。子育てや楽しかった家族だんらんの思い出がいっぱい詰まった家で、孤独死を迎える悲惨さを直視しない社会は人間らしい社会といえるのだろうか。
見守るサービス
ある大手ハウスメーカーは、OB顧客の中で一人暮らしをしている世帯を巡回訪問するサービスについて研究を始めている。実家を出てしまったために一人暮らしの親の面倒が見られない子供たちに代わって、第三者が事業として見守りサービスを展開する社会とは歓迎すべきものなのだろうか。
親子とは何か、孝行とは何か、その前に己とは何なか、よい生き方とはどういうものかといった問い掛けを戦後の教育はないがしろにしてきた。アメリカ流の個人主義は神との契約に基づく個人だが、日本人の感性はかなり違う。日本人は、親子、師弟、主従、兄弟、夫婦、地域住民らなど、あくまでも対人間との関係の中で、個としての己を磨いてきたのである。
戦後大量につくられた住まいが、そのような原点をもつ日本人と日本文化にふさわしい住まいであったのかを、今こそ問い直すときではないのか。
今後ますます長寿化する社会で多くの老人が「長生きはするものだ」と楽しく明るく生きるためには健康の維持も欠かせない。そのために住まいはどうあるべきかも、これからの大きな課題となってくるはずである。 (本多信博) おわり
◇ ◇
「読み解く目線」は今回で一端終了します。8月16日号からは新シリーズ「住まいは長寿を支えるか」を連載します。


















