このことだけは関心がある、だから、そのことに関しては本当に今、世界で何が起こっているのかを知りたい――。そういう切なるテーマがあれば、それに照準を合わせることで、情報が氾濫する現代にあっても溺れずに済むのではないか。
一つのテーマに的を絞り、あらゆるメディアから情報を取捨選択する努力を続けていれば、それらの情報をより深く理解するための『知識』も身に付くのではないか。いや、あまり信じたくはないことだが悪意にも欺瞞にも作為にさえも満ちた現代の情報社会で、一人の人間としてまっとうな人生を送ろうと思うなら、そのように自らの情報入手口を己の関心事で絞り、それを精査していく営みがむしろ欠かせない。そうでもしなければ結局は何一つ、ものごとの正否を己で判断するという知的作業はなしえないだろう。
ただ、国民の一人ひとりがそのように己の関心事を絞り、閉鎖的に生きてしまうことは、決して望むべき社会ではない。では今の日本において多くの大人が共有しているテーマとは何だろうか。
未来は分からない
それが今、国会で議論されている安全保障の問題でなくて何だろうか。何しろ、この国の存立に関わる問題なのだから。今こそ、決して誇張ではなく、自分の子供や孫の時代になっても、この国は平和を享受していることができるだろうか、という強い危惧を抱くべきではないだろうか。 安倍政権が集団的自衛権行使のための法案を、大幅に延長してでも今国会での成立を目指していることについて、「何でそんなに急ぐのか分からない」という指摘が専門家であるはずのジャーナリストからもなされていることが不思議だ。
今の世界情勢を見ればそんなことは当たり前ではないか。もし「平和が大事」とこれまで通り連呼していれば、この国が未来永劫平和でいられるならば、それは奇跡に近い。日本が将来武力侵略されたとき、その程度にもよるだろうが、せいぜい〝経済的制裁〟のみで世界は見過ごしてしまうかもしれないのだ。
さて、では我が住宅・不動産業界にあって、関係者の多くが関心を共有している最大テーマとは何だろうか。インスペクションだろうか。重説のIT化だろうか。大手による物件情報の囲い込み問題だろうか。いずれも違うと思う。ましてや、建築費の高騰による住宅価格の上昇などではないだろう。
それは、住宅・不動産業界に身を置く企業が大手であれ中小であれ、これからの時代、自分たちは国民に対して何ができるのだろうかという根源的な問いではないだろうか。
正体が見えない
しかし最早、こうした問い掛け自体が、むなしい状況になっているかもしれない。なぜなら今の日本国民には総体としての夢も目標も、誇ろうとする民族性も見当たらないからである。正体を失いつつある国民に、一業界ができることなどありはしない。ならば住宅・不動産業界としてなすべきことは、それらを国民が一から取り戻すお手伝いではないか。なにしろ国民の生活基盤である大切な住まいを提供しているのだから。
ただ、そこにもやっかいな問題が潜む。住まいの持つ意味が大きく変容し始めたのだ。戦後社会を大まかに俯瞰すれば、少なくとも高度成長期が終わる1973(昭和48)年頃までは、住まい(中でも持ち家)は共同体としての家族がその結束を強め、心を癒すための砦だったと思う。
それが今や、主をなくしたとはいえ、懐かしい心の砦になるどころか、やっかいものの〝空き家〟として放置される始末だ。日本人の家族を思う情愛、その住処であった住まいに注ぐ感性が劣化していると言わざるを得ないではないか。
――そんな時代に業界は今、どんな住まいをつくろうとしているのだろうか。 (本多信博)


















