今週の糸口 時代論的住まい論 1 量を確保するための質でいいのか
住宅新報 2013年4月30日 号 9面

暮らしを楽しむドームハウス(RCコアの藤沢展示場)
ラルゴ・コーポレーション社長の山本治男氏は4月16日、「REB-1000社の会」で講演し、「失われた30年を取り戻すチャンス到来、時は今!」と訴えた。 「(景気回復の兆しが出てきたが)不動産価格も、株価も、税収さえも未だ30年前の水準にある。好調な滑り出しとなったアベノミクスの安倍政権を支えることが、過去30年の失政を取り戻す最後のチャンス」と力説した。異論はない。ただ、失ったのは経済的価値だけだったか。
経済大国を目指してきた日本と、それを支える企業戦士として働いてきた日本人は、バブル崩壊後の20年間で、すっかり自信をなくし、方向性を見失ったようだ。 バブルで地価が高騰していたときには、「サラリーマンは一生働いても家が持てない。土地は誰のものか」と、あれほどの怒りと危機感を募らせた国民だったが。
その後地価が下がり金利も史上最低となり、若い世代でも家が持てるようになって、ふと気が付けば、住まいや土地をめぐる熱い論議は忘れ去られている。
経済主義に変わるもの
サラリーマンにとって、家とは何か、家族とは何か。もっとも、住宅市場の主役は現在、団塊ジュニアからポスト団塊ジュニアの世代に移りつつある。彼らは決してエコノミックアニマルでも企業戦士でもない。
しかし、団塊世代の親世代から子世代へ3世代に渡って時は流れても、経済至上主義のDNAは、形や色こそ変え、底流を這うように受け継がれているのではないか。あるいは、経済主義に変わる新たな価値を見出せない心の空洞をバトンリレーしているだけなのか。住まいについて考えることが、新しい価値や自分を見つける糸口にならないだろうか。
そろそろ、「量から質へ」の議論を本気で始める時ではないか。住まいの「質」とは何なのか。結局は、量を確保するための質であり、狙いは今も「量」にあるのではないか。
自宅としてのログハウスを展開するアールシーコアの二木浩三社長は「住むよりも暮らしを楽しむという発想が大事。家はそのための道具」と割り切る。そうであれば、今の日本にとって何が楽しいことなのかを考える必要がある。
最近のキーワードである「スローライフ」や「自然との共存」も、そうした〝根本〟を考える時間を持とうよ、という呼び掛けだと思う。 (本多信博)

















