60~70年代において、建築のデザインは音楽や絵画、彫刻などを包括する哲学であり、哲学は言葉で表されるという概念が支配していました。言語による建築デザインが隆盛を極めており、多くの建築家は戦後の日本的な建築とは何かが議論された「伝統論争」を経て、言語の呪術に囚われ、呻吟していた時代です。
そのような建築家を悩ませた最初の言葉(命題)が「縄文と弥生」でした。縄文と弥生は歴史的な時代区分ですが、建築的には縄文が男性的で土俗的であり、弥生は女性的で繊細なデザインと理解されました。丹下健三の広島平和記念公園がモダンで弥生的、江川氏旧韮山館を設計した白井晟一が土臭く縄文的とされました。丹下健三は器用な人でしたので、香川県立体育館や国立代々木競技場第一体育館のように土俗的で縄文的なデザインもこなしました。
次の時代はル・コルビジェやルイス・カーンが用いた幾何学的なデザインです。これにロンドンを中心としたアーキグラムの波が被り、建築家を悩ませました。

























