ひと 南三陸町で見つけた自分 「人と人をつなぐ仕組みづくり」で貢献 リアブル・アセット・パートナーズ社長上野 浩志さん
住宅新報 2011年4月12日 号 2面
会社は商業施設の再生などを手掛けている。救援活動のため宮城県南三陸町に入ったのは4月4日の夜。
「7日の夕方に現地を出発。短い滞在だったが、言葉では言い表せない貴重な体験となった」
東京に辿り着いたのは金曜日の午前2時。9時から通常通りの仕事。ボランティアのために、日程をずらしてもらっていた商談をこなす。目の回る忙しさだ。JR御茶ノ水駅で待ち合わせ、仕事先の赤羽まで同行取材となった。
「地震が起きてから自分にできることは何かと考え、悩みながら仲間と共に救援プロジェクトを立ち上げた。我々が選んだのは歌津地区の避難所。物資が不足していると聞いたからだ。すると仕事で付き合いのあった名古屋の建設会社と、兵庫県の食品会社が全面的バックアップ態勢を敷いてくれることになった」
食品会社は厨房が不要のレトルト食品を大量に送ってくれた。建設会社は深夜、車を走らせて2台のワゴン車と小型発電機5台、軽油入りの携行缶を持ってきてくれた。ビジネスの枠を超え、強い絆を感じた瞬間だった。
「避難所で最も痛感したのはマネジメント不足。本当に必要な物資は日々変化しているのに、その情報が援助する側に伝わっていない。避難所同士のヨコの連絡もなく、余っている物資が、それを必要としている避難所に届かない」
有効に機能する救援システムが確立されていない現実を見たとき、自分に何ができるのか--その答えが見つかった。早速すぐ近くにある別の避難所に出向いて、そこの責任者と話をし、歌津地区の責任者を引き合わせた。その後、調整が効くようになった。
本業の商業施設再生も専門家同士を引き合わせ、共通の目標に向かって全体をマネジメントしていく。「救援プロジェクトも、人と人をつなぐ仕組みづくりという意味では同じだ」
東北に行くことになった背景には、昨年から取り掛かっている東京・日本橋のビル(三越本館真向かいの福島ビル)再生プロジェクトが関係している。
「2階の物産ゾーンはもともと、地方の名産品などを紹介する東京と地方との交流拠点にしようと考えていた。だから地震が起こったとき、何かしなければいけないと思った」
若い企業経営者が時間を割いても被災地の救援に向かうのは、そこで自分の能力が生かせるという直感を抱くからではないか。会社立ち上げの原動力でもあった、社会に貢献したいという衝動だ。
(本多
信博)













