大震災を乗り越えよう 「3.11後の選択」 再起・復興を期して<1>
住宅新報 2011年4月12日 号 1面
『地震銀座』と津波
正直、覚悟を決めていた。東北太平洋沖地震発生から一夜明けた3月12日朝。NHKがとらえた福島県沿岸一帯の空撮の映像には、そこにあったはずの家並みはなかった。代わりになみなみと海水が湾のように横たわっていた。家並みの一角に私の実家があるはずだった。福島県南相馬市。実家には母親が1人で住んでいた。携帯電話もメールも地震直後から全く通じなくなっていた。
三陸沖から福島県沖は、地震の頻発する地震銀座として知られる。だいたい年に1、2度は震度5クラスの地震が起こっている。地震が起こる度に津波警報も出ていた。だが宮城県南部から福島県にかけての沿岸部は遠浅の砂浜が続くため、たとえ3メートルの津波警報が出ても実際に到達したのは、数十センチ止まり。話半分、いや3分の1と捉えて余裕があった。沿岸一帯には高さ3-4メートル程度の堤防が整備されていたからだ。













