【特集】現地ルポ・その後の神戸(1)
6,000人を超える犠牲者を出した阪神・淡路大震災から今年で6年。現在の街並みは震災前の状態に戻りつつあるが、震災による精神的ショックからの回復、二重ローンに苦しむ住宅資金問題など課題は未だに続く。そして街並みが整っても、そこに魂―いわばコミュニティを取り戻すための取り組みが行われている。
昨年十月に行った国勢調査の速報によると、神戸市の人口は百四十九万三千五百九十五人で、阪神大震災のあった前回(一九九五年)に比べ六万九千八百三人増えており、増加率は全国十二の政令指定都市でトップだ。震災で減った人口は、着実に回復している。さて、街はどのように復興したか、人々の暮らしはどのように変わったか――。焼け野原になった街から見事に立ち直ったJR山陽本線鷹取駅南口の野田北部地区と、建物の倒壊件数が最も多かった阪神鉄道魚崎駅周辺を訪ねた。
<再開発で成功した下町復興>
神戸市は海岸線に沿って帯状に、港とともに発展してきた。そのなかで、長田区は重厚長大型の企業が張りついた臨海工業地帯の後背地だったこともあって下請工場が多く、特にケミカルシューズの町として全国的に知られていた。 長田区は、昭和二十年に従来林田区であった地域を分離・統合して誕生した、神戸市九区のなかで最も面積が狭い区だ。北部地域は丘陵地帯で、三十年以降に急速に開発が進んだ住宅地である。また、南部は長田港を中心に建設資材や食料品、重油等の積み下ろし港として発展してきた。その中間の中部地域は、市営地下鉄をはじめ神戸高速鉄道、山陽電鉄、JR山陽本線などの鉄道網が整備され、官公庁が集まる中心的なエリアだ。ただ、住工が一体化し、しかも戦前から長屋の密集した、まさに下町の色が濃く漂う地区も多く含まれている。こうしたこともあって、火災による被害が神戸で一番多かった地域といえる。その爪あとは、まだ完全に復旧したわけではない。
一面が焼け野原となった、JR山陽本線鷹取駅に近い野田北部地区を訪ねた。駅前の鷹取商店街とその周辺の住宅地から立ちあがる炎と黒煙が、一日中TVで全国に伝えられた、あの町だ。普段ならすぐそこに見えるはずの家が、まったく見えなかったという、信じられない光景だったという。
それから六年。町は見事に甦っていた。神戸市内でも最も復興が早かった町、再開発が成功した町のひとつだろう。町を歩くと住民の明るい声とともに、下町人情あふれた生活ぶりが伝わってくる。













