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大言小語 老々寺院とは

 先日、法要を行った時のことである。いやはや参った。時間前に行ったのだが、いつまで経っても始まらない。おかしいと思い、聞いてみると後の時間の方の法事を先に行ってしまうというミス。実は、この寺は住職が70代で、他の僧侶は90代と80代。1人若い(と言っても40代だが)僧侶は、葬儀に出て行ったので、マネジメントできる人が誰もいなかったのだ。

 ▼こちらの指摘で、1時間遅れで、待合室に80代の僧侶が上がってきたのだが、「間違えてすみません」という声が隣から聞こえてきたので、慌てて、「こちらだよ」と呼び戻す始末。その後の法事そのものも段取りが悪く、来年以降の法事が心配になってきた。

 ▼老々介護といった言葉が聞かれるようになって久しいが、〝老々寺院〟では、安心して死ぬこともできない。都内の寺院としては一等地にあるこの寺も、経営状況含め厳しい現実がある。しかも、この問題は、都心・地方を問わない。今、墓を見守る子孫が東京にいるため、永代供養を望む地方のお年寄りも多いが、加えて、僧侶が僧侶足り得ないとしたら、果たして墓は今後存在し続けるのだろうか。

 ▼現実の住まいを見つけるのも大変なら、死後の棲み家を保持するのも大変とは。お上がお題目のようにいう「安心・安全」な世界は、涅槃(ねはん)と同じで、到達できないのかもしれない。