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大言小語 現実を見る瞬間

 「日本人のノーベル賞受賞はありませんでした」。今年はこのフレーズをよく聞いた。ノーベル賞に特別関心が高く、ニュースをよく見ていたわけではない。SNSや動画でこのフレーズが批判されていたからだ。批判の内容は、「日本人の受賞がなかった」ことにどれだけニュース性があるのか、日本人受賞の有無に関わらず業績をもっと分かりやすく伝えるようにすべきではないか、というものだ。

 ▼似たような話しに海外で大きな事故や事件が起きると「被害者に日本人はいませんでした」というものがある。この場合、身内が関係するかもしれないという懸念を払拭するための意図があると説明されるが、身内が巻き込まれているなら、関係者から連絡がくるだろう。関係者からの連絡よりニュースの一報のほうが早いという時代の名残なのだろうか。

 ▼海外の大事件や事故もSNSによる当事者や関係者個人が発信するようになった。ノーベル賞も受賞した本人がSNSで喜びを表明する時代。メディアに求められるものが変化したことに気が付いていないことが問題だ。

 ▼たとえ変化に気付かなくても、昨今の円安による物価高のように、否応なく現実を突き付けられる瞬間は突然訪れる。冒頭の批判も鈍感なメディアに現実が突きつけられた瞬間だ。10月16日の宅建試験を受験した方は、本試験の現実を見て、どう感じただろうか。