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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇51 住と町に癒しを 時代が業界をつくる 熱い義務感を持つ〝士〟を抱け

 自分が住んでいる町、仕事関係でよく訪れたことがある町、ときどき飲みに出掛けていた町――。

 今は、それらのどの町にも魅力を感じない。そのことに唖然とするし、今ほど、渇いた喉が水を欲しがるごとく住みたい町、出掛けて行きたくなる町に焦がれた記憶がない。今まで私は何をしてきたのだろうか。

 これまでの人生を振り返ると、住まいと勤務先の間を往復するだけのつまらない時間を積み重ねてきただけのように思われる。自分の住まいを持つこと、そのために仕事をうまくやっていくことだけに関心を持ち、人生における肝心の何かを見落としてきたのではないかという不安。取り返しの利かない悔恨。

疲弊する現代

 しかし、そもそもひとは己の思考バイアス(思い込み)の中でしか生きられないという説があり、だとすれば過去の人生を後悔しても始まらない。いや、だからこそ、ひとは年を重ねるにつれ心が安らぐ住まいを、ときに気持ちを癒してくれる町に焦がれるのだと思う。

 私が出掛けていきたいと思う町は、誰も否定しがたい利便性や機能性、通り一遍の美しさを重視した町ではなく、その土地にしかない風光や独特の匂い、まちの角々にたゆたう悠久の時間のようなものだ。誰にとっても魅力的な町は、誰にとってもつまらない町になり始めた――今はそういう時代なのではないかと思う。

 隣の町に出掛けるのも人間にとっては小さな観光だが、コロナで止まっていたインバウンドが復活するのではないかという期待が高まっている。観光は人間だけの趣味で、動物に観光という概念はないらしい。渡り鳥は長い距離を移動するが、あれは観光ではなく本能である。

 人間にだけあって動物にないものはほかにもあるが、その一つが義務感である。

 秀吉配下の戦国武将で、後に初代松山藩主になった加藤喜明は「義務感こそ、人間が動物とは異なる高貴な点だ」と言った。しかし、戦国時代や幕末の動乱期ならいざ知らず、当時の士族が抱いたような義務感を現代人が持っているとは思えない。

 また、欧米並みの近代化、富国強兵を急いだ明治時代なら、ごく普通の少年たちの胸にも国のために役立つ人間にならねばという義務感はあったのだと思う。結局は時代が人間をつくるのだと思うが、その意味では人々が社会的義務感を抱きにくいのが現代社会の特徴といえるだろう。

宅建士の責務

 前回の「彼方の空」(6月14日号)では、仲介会社の責務は契約にこぎつけるだけでなく、その後安心して長く住み続けるための物理的基盤を支えていくのも重要な役割になると述べた。いまだに「契約したらさようなら」という姿勢の不動産会社が多いらしいのだが、だとすればそれはなぜなのか。不動産業界が熱い義務感を持つ〝士(さむらい)〟を抱いていないからではないか。

 15年に施行された改正宅建業法で、従来の宅地建物取引主任者が宅地建物取引士に名称変更された。これは、社会で重要な役割を果たしている宅地建物取引主任者の社会的ステータスを上げ、彼らのモチベーションを高めたいという業界の熱い要望を受け、議員立法で実現したものである。しかし、せっかく士業の仲間入りをしたにもかかわらず、その後宅建士の社会的地位、国民の信頼が大きく高まったという話は聞かない。

 そこには宅建士の独占業務が主任者時代と同じく重要事項説明と重要事項説明書及び契約書への記名・押印に限定されている問題がある。取引そのものを行うための免許は宅建業者に与えられているのだ。これでは宅建士の社会的地位の向上は期待し難い。

 宅建士への社会的信頼は名称ではなく、業務の社会的重要性に比例する。時代が人間をつくるように業界も時代によってつくられるのだとすれば、業界が今なすべきことは、国民に忠誠を尽くす熱い義務感を持った〝士〟を抱くことである。