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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇103  シリーズ 今叶う、その想い ドムスデザインの戸倉蓉子社長に聞く 住文化を語る喜び

 「子供の頃の夢は看護師になること。明治生まれの祖父から伝記を読むことを勧められていた私が選んだのは〝看護師の母〟と呼ばれたフローレンス・ナイチンゲールでした。200年前の人で建築家でもあった彼女が、傷ついた兵士を助けるために最初にしたことは病院をきれいにすることでした。

 ――看護師の資格を取り念願の夢を果たしました。

 最初に勤務したのが東京・信濃町にある大学病院の小児科病棟でした。しかし、看護師になれた喜びとは裏腹に、命が助からない子供たちを見て、自分の無力さを感じていました。私はナイチンゲールの『看護覚え書き』を読み直しました。そこにはこう書かれていました。「回復に必要なものは環境である」と。

 ――そして、今度は建築家への道を志すことに。

 病院の建物は白を基調とし無機質で癒しとは無縁の建物です。病室に花を飾ることさえ、院内感染を懸念して禁止している病院が多いのです。

 ――イタリアへ留学した理由は。

 建築の本質を学びたくて行ったのですが、毎日が感動の連続でした。古い建物と新しい建物が美しく融合し、街がテーマパークのように活気にあふれています。ミラノの建築大学に留学し2年間勉強しました。師事したパオロ・ナーバ氏のご自宅に招かれたとき、住まいを彩る美しいインテリアと日々の暮らしを楽しむ豊かな生き方そのものに衝撃を受けました。それからはイタリアの家を200軒は見て回ったでしょうか。

 ――日本との違いは。

 イタリアの人たちは、友達が来るから家の中をきれいにするのではなく、日常の暮らしを楽しむために家をきれいにしているのです。家は〝自己実現の場〟だと言っていました。子供の頃から感性を磨くお国柄です。

 ――帰国して一級建築士の資格を取得。イタリアでの経験をもとに「建物に元気を与える」をテーマにしたデザイン事務所を立ち上げました。

「環境造りを通して豊かな人生創りに貢献すること」が会社のミッションです。患者さんを元気にする病院の設計・デザインをするのも仕事の一つですが、そもそも病気にならないためには日常を過ごす住宅や職場の環境がとても大事だと考えています。

 ――ナイチンゲールは病気になる原因の半分は住まい環境にあると言っていますね。

議論始まる

 どうしたら気持ちが良く、前向きに病気を寄せ付けないマインドになれるか。そのための環境造りがいつも自分のテーマです。家にいるときはもちろん、街を歩いていても、仕事で会社を訪問しても、レストランで食事していても、そこの色彩、照明、空間構成、肌触り、香りなどが常に気になります。レストランではインテリアやスタッフのサービスの仕方に心うばわれ、何を食べたか覚えていないこともあります(笑)。

 ――昨年発足した「ひと・住文化研究所」のシンポジウムが11月14日に開かれます。戸倉さんも参加されますが我が国の不動産業界では初の試みともいえる住文化に関する議論が始まります。

 経済面では日本はイタリアより豊かなはずなのに、住環境は豊かとは言えないし、ちっとも楽しい場になっていません。それはなぜかとずっと考えていたのですが・・・。

これまでは日本の社会が仕事での成功ばかりを求め、家族のことは二の次、三の次で、家は寝に帰るところと捉えていたからだと思います。仕事が忙しく、家にいる時間が少なかったので、家の中のことに興味を持てなかったという事情もあるとは思いますが。

 ――コロナ禍で住まいに対する意識が変わりました。

 コロナ禍では家にいる時間が増え、男性も家の環境に気付く機会が増えたので、これからは「家で日常を楽しむ」という視点が生まれてくると思います。イタリアから帰国した20年前は「家は人生を楽しむ舞台」と提唱しても誰からも相手にされませんでした。今ようやく、住まいと暮らしの文化について語れる日が日本にもきた喜びを感じています。