ど素人から金持ち大家さんになった人々

第21回 借金3,000万円を抱えた元お笑い芸人が不動産業界で学んだこと

ウメさんのプロフィール
1975年生まれ。大学卒業後にプロの芸人になるが、副業の飲食店経営で借金を背負ったのを機に引退。その後、不動産会社でフルコミッションの営業部員として働き借金を完済する。2010年に400万円を元手に不動産投資を始め、5年で所有物件20棟40室、家賃年収2,200万円を超える規模に。現在はIT企業に勤務しながら、主に週末に不動産投資活動に励んでいる。

借金3,000万円を背負って芸人の夢を捨てた日

――自己紹介をお願いします。

ウメさん 
IT企業で営業の仕事をしながら、不動産投資をしているウメといいます。現在の所有物件は20棟40室で、家賃年収は2,200万円くらい。そのうち、キャッシュフローが約1,500万円あります。手残りが多いのは、半分以上を現金で買っているから。東京在住なので、物件は東京、千葉、埼玉、神奈川の週末に日帰りで行ける場所に買っています。

――20棟40室ということは、戸建てが多いのでしょうか?

ウメさん 
そうですね。戸建てや2戸、4戸の小ぶりのアパートが多いです。古いというかボロいものが多く、価格も数十万円から数百万円と安いものが大半です。2010年に400万円を元手に不動産投資を始めてから、売買を繰り返し、資産を増やしてきました。直近の1年では21戸を購入し、5戸を売却しました。毎月、決済があるペースです。

――最近は値段が上がっているといいますが、探せばあるものなのですね。ところで、ウメさんは変わった経歴をお持ちだそうですね。

ウメさん 
自分ではやりたいことをやってきただけですが、人から見れば変わっているように見えるかもしれません。高校時代はインターハイ常連の強豪校でサッカーに明け暮れる毎日でした。皆がサッカー推薦で進学を決めましたが、僕はサッカーに見切りをつけ、卒業後はお笑い芸人を目指すことにしました。プロや全日本に進んだチームメイトとプレイする中で、実力の差を思い知ったんです。

親に「 お笑いをやるなら、国立大学か同等の大学を卒業するのが条件 」といわれたので、引退後は学校に泊まりこんで猛勉強し、神戸大学と早稲田大学に受かりました。偏差値40のその高校から現役で国立大に受かったのは、開校以来初だそうです。神戸大に進むつもりでしたが、東京への憧れもあって早稲田に進みました。東京での生活は刺激的で楽しかったです。

――その後、お笑い芸人に?

ウメさん 
はい。大手お笑い芸能事務所のオーディションを受けて、プロになりました。でも、無名の芸人はテレビに出ても1回1,050円、毎日舞台に出ても月2万円という世界。食べるためにアルバイトをかけもちしたり、自分で古着屋や飲食店を経営したり、色々な仕事をしていました。副業で食いつなぎながら、そのうちお笑い一本でやっていくことを夢見ていたんです。

でも、プロになって10年目にコンビを組んでいた妻との間に子供が生まれ、飲食店の失敗で3,000万円の借金を作ったことで、芸人を辞めて、稼げそうな不動産の世界に飛び込びました。当時は毎月、60万円を返済しなければいけないという崖っぷち状態。妻にサラ金に行ってもらい、6社から10万円ずつ借りて、しのいだこともあります。

不動産の世界で学んだのは「性善説」は通用しないということ

――それは大変でしたね。不動産の世界というのは、不動産投資ではなく、不動産業者として働くということですね。

ウメさん 
そうです。都内でマイホーム用の住宅を売る仕事でした。でも、上司や先輩と反りが合わなかったこともあり、入社から半年は一本も契約がとれなかったんです。この頃は本当にきつかった。そんな中に、一人だけ僕をかわいがってくれた先輩がいて、その方の力添えで、最初の契約を決められました。今でもその先輩のことを思い出すと、泣けてきます。本当に感謝しています・・・。

その先輩のおかげで、他の社員からも僕のやり方を認めてもらえるようになり、そこからは立て続けに契約が決まりました。5,000万円の家を売れば手数料が300万円、そのうち120万円が入るという契約だったので、2軒売れば240万円です。そこから借金はどんどん減り、3,000万円を1年半で完済できました。

――努力が報われましたね。それにしても、畑違いの不動産業界で、フルコミッションを選ぶのは相当な勇気がいったのでは?

ウメさん 
不動産の世界に入ったのは、やる気さえあれば雇ってくれる業種だからです。その会社では入社時に、①15万円の固定給と20%の歩合、②20万円の固定給と10%の歩合、③固定給は0円で30%の歩合(宅建の資格取得後は40%)、の中からひとつ選ぶように言われ、借金のあった自分は迷わずフルコミを選びました。

その頃はどうしたら家を買ってもらえるのか、徹底的に研究しました。成約率を上げるために、物件を案内する前夜に現地に出向いて予習したり、融資付けでつまずかないように金融機関を訪問してヒアリングをしたり・・・。ダメな営業マンがなぜ決まらないかを反面教師にしたのも効果がありました。

――不動産会社で働いた経験が、不動産投資にも生きていますか?

ウメさん 
はい。宅建の資格を取ったので、自分で売買できるのは大きなメリットです。あと、不動産業界には怪しい人が多く、人を見る目も養われたと思います。僕のいた会社でも、手付金100万円を持って逃げた人がいました。約束どおり給料をもらったこともありません。今の会社に入ったとき、募集要項に書いてあったとおりのお金が振り込まれていて、驚いたくらいです(笑)。

それと、僕は不動産会社を辞めたあと、1年間、勉強のために損保会社に勤務したんです。このときも、お金に関するカラクリというか、表からは見えない部分を勉強させてもらいました。今、大家になって保険を請求するときは、このときの経験が生きています。保険は非常に奥が深いので、勉強すると必ずいいことがありますよ。

世の中には、平気で人を騙せる人がいくらでもいます。大きなお金が動く業界をのぞいたことで、リスクへの意識は非常に高くなりました。僕がこんなことを言うのもなんですが、不動産の世界で「性善説」は通用しないので、皆さんも注意してください。僕は油断しないよう、「ナニワ金融道」をバイブルにして、気を引き締めています(笑)。

最後はS川急便で働けばいいと覚悟を決めたら状況が変わった

――お笑い芸人の夢に破れ、副業で借金を3,000万円も作り、不動産会社でも稼げない・・・。そのピンチを乗り越えられたのはなぜですか? 

ウメさん 
覚悟でしょうか。妻をサラ金に行かせたときに、芸人への未練は捨てました。そして次に立てたのが、「お金持ちになって、家族を幸せにする」という目標です。今、不動産投資をしているモチベーションも、ここから来ています。妻は稼ぎのない僕と結婚したことで、両親から勘当され、子供の顔を親に見せることもできずにいました。

妻とは合コンで知り合ったのですが、相方が辞めたときは「私がやるよ」と舞台に上がってくれ、副業も手伝ってくれました。借金を背負い、僕が「これ以上迷惑をかけられない」と離婚を口にしたときも、「自分の責任で選んだ道だから」と言ってついてきてくれて・・・。そんな妻をこれ以上、苦しめられないと思ったんです。

実は、あと一カ月契約が取れなかったら、S川急便に入るつもりで、実際に準備もしていました。S川急便はハードですが、確実に稼げる仕事として有名ですから。「そうか。最悪でもあの会社で働けば借金は返せるんだ」と気づいてからは、開き直りましたね。あとは必死で勉強して、がむしゃらに働くうちに、状況が変わったんです。

後編:第22回 家賃年収2,200万の金持ち大家になった元貧乏芸人の意思と努力


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