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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇54 「コト」から「カタ」へ 働き方改革の真実 新たな高み目指す

 「働き方改革」の根本には、「仕事とは何か」という問い掛けがなければならない。仕事の本質を理解しないまま、働き方改革を論じても意味はない。

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 そもそも仕事は「世のため、人のため」にあるもので、自分のためではない。だからこそ、その対価として利益や報酬を得ることができる。フランスの哲学者アラン(1868~1951年)はこう言っている。

 「役に立つ仕事はそれ自体が喜びである。その喜びは仕事から利益を得られるからではなく、仕事そのものに起因している」

 ここから導き出される結論がこうである。

 「世のため、人のため」に仕事をする人が多いほど社会は良くなる。反対に「自分のため、自分が属する組織のため」に仕事をする人が多くなれば社会は悪化する。その理由はこうだ。

 自分のために仕事をしている人は仕事に失敗したとき、世間に対して申し訳ないという気持ちがないから、謝る気持ちもなく、仮に謝ったとしても口先だけである。本音では自分以外のところに失敗の原因があると考えている。

 それに対して、世のため人のためにという思いで仕事をしている人は仕事に失敗すると、真っ先に世間に対して申し訳ないという気持ちが生まれるので本心から謝ることができ、失敗の原因を自分の未熟さに求める。

 そして、その経験を自分のものにすることができるので、更にいい仕事ができるようになり、人間としても成長していく。そういう人が多い社会は人が住みやすい社会になっていく。今の日本社会がどちらの方向に進みつつあるかは、政・官・財どちらを見ても明らかである。

幸福な仕事

 先に引用したアランは「幸福論」で有名だが、仕事と幸福との関係ではこうも述べている。

 「人から指示されるのではなく、自分から進んで目標を定め、自由に働ける仕事が最高である。最も自由な仕事は、仕事をする人が自分の経験と知識によって調整(修正)できる仕事である。仕事の出来具合を自分の目で確かめながら、その出来具合だけを頼りに調整(修正)を行い、そこから学べることに自ら耳を傾けている限り、人は幸せである」

人間再生 

 現在議論されている働き方改革は、「テレワークは時間と場所に制約されない」とか、「出社と比較してどちらが生産性が上がるか」など、生産性や効率面にばかり関心が向けられていないか。それでは真の「働き方改革」にはならない。なぜなら、今求められているのは「仕事とは何か」「何のために働くのか」という根本的問い掛けに基づく〝人間再生〟だからである。

 「仕事は世のため、人のため」にあるという公理から出発するなら、仕事は人々が暮らしやすい社会、人々の幸せを実現するためにあるわけだから、日々の暮らしにおける幸福とは何かを考えるのが、「働き方改革」の目的となる。 と同時に、今日的意義としては、人間が人間らしさを取り戻す働き方とはどういうものかを追求する使命も負っている。

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 ところで、「働き方改革」の「カタ」とはなんだろうか。カタとは更なる高みをめざす流儀のことである。つまり、働く意義を更なる高みに引き上げるということだ。

 近年流行した言葉に「モノからコトへ」がある。人々はモノの豊かさに飽き、様々な体験をするコトから得る感動や共感を求めるようになったという。しかし、感動も繰り返せば飽きてくる。物質的豊かさに飽きたように、いずれは感動するコトにも飽き始めるだろう。

 人類が抱く次なる興味はなにか。2045年頃にはAIが人間の知能を超え、人間と対等に社会で融和し始めるといわれている。それまでに、人類は人間を更に人間らしい高みに引き上げるための新たな〝働きカタ〟を模索していかなければならない。