馬場啓一氏の著書「池波正太郎が通った店」の中で、この店をこよなく愛したという池波正太郎の言葉が残っている。「清潔で活気にみちた店内、親切なサービス。 良心的な値段と味。これはまさに、戦前の東京下町の洋食屋である。「レストランではない」、「入って見て、食べて見て、一瞬、私は戦前の東京へ引きもどされたようなおもいがした」(「新しいもの古いもの」から)。「洋食大吉」は創業1970年。地上には黄色い 「洋食大吉」の看板が目立つが、住宅地には珍しく店自体は地下にある。外階段を下っていくと、思いもかけないほど広いスペースに、赤と白ギンガムチェックのテーブルクロスのテーブル席が50席ほど置かれ、畳敷き座敷もある。厨房も広く立派だ。
筆者は友人が主宰する10人ほどの会に参加した時に初めて「大吉」を訪ねたが、静かなこの辺りの住宅街と対照的に、扉を開ければ、満席の客の声が店内に溢れていたのが印象的だった。飲料はビール各種、ワイン、ウイスキー、ハイボール、梅酒、焼酎など、日本酒も上善如水・菊水辛口・越乃景虎・高清水・賀茂鶴など全国の代表的な酒が揃っている。料理のメニューは豊富で、レバー下町風ステーキ、オムレツ、スペアリブ、ホタテバター焼きなど小皿が500円前後、サーモンステーキ、デミグラハンバーグ、ミックスグリルなど鉄板焼きも1000円前後と手頃、その他、洋食店でありそうなものは何でもそろっている。池波正太郎は「私はオムレツでウイスキー・ソーダをのみ、ヒレカツレツをつまみ、そのあとでチキンライスを食べた」と書く。一人でも良し、大人数のグループで騒ぐのも良し。
「洋食大吉」は、JR浅草橋から江戸通りを渡り、東へ3分ほど歩いた場所にある。今は静かな住宅街となっている墨田川と江戸通りに挟まれたこのエリアは、かつて「柳橋」と呼ばれ、政財界や芸能界の人々に愛された花街だった。江戸時代に江戸市街を焼き尽くした明暦3年(1657)の「明暦の大火」により、「吉原」が現在の台東区千束に移転すると、訪れる客が舟で隅田川を北上し吉原へ入る起点として、柳橋に船宿が増えていく。船宿は次第に宴席の場も兼ねるようになり、周辺に酒楼・料亭も軒を連ね一大花街として栄えるようになったという。その後、花街としての柳橋は没落し、最後に残った料亭「いな垣」も1999年に閉店し、柳橋花柳界は400年の歴史に幕を下ろしたという。その歴史の深さに思いを馳せ、カツレツをいただくのも悪くない。(似内志朗)