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酒場遺産 ▶39 神保町「兵六」 創業75年 神保町の小宇宙

 神保町の靖国通りとすずらん通りの間、旧三省堂ビル裏側の路地の角に、小さな酒場「兵六」はある。いつも満席で、横目で見て通り過ぎていたが、先日17時の開店時間5分前に並ぶと難なく入ることができた。独自の流儀の店と聞いたが、大きな提灯と縄のれんを掛けに出てきたのは、優し気な若店主柴山雅都氏。初代店主の平山一郎氏が75年前 1923年にこの場所に店を開いたとのことで、ご自身は三代目、初代の甥に当たるという。店をはじめた当時、鹿児島出身の初代は芋焼酎を多く出したが、この辺りでは珍しく「芋焼酎の飲める店」として知られたという。

 20席ほどの小さな店で、45年前に現在の店に建て替えの際にも古い内装は極力守ったという。すっかり飴色に変色した紙には、大きな文字のメニューが書かれる。和食が中心であるが、餃子・炒麺といった中華もある。かつて初代が上海に留学した折に学び帰った料理とのことだが、壁には交友のあった魯迅の古いモノクロ写真がかかる。酒は六種のみ。焼酎はさつま無双など3種、酒は燗でも冷でも美少年のみ、麦酒はキリンクラシックラガーと決まっている。今夜は、鮪あら煮、鮪の皮のポン酢、 兵力焼き、きびなご丸干、里芋大蒜和え、赤魚西京焼き、鶉卵たまりづり、炒麺、餃子を頼んだ。一皿400~600円と手頃な価格でどれも美味い。店主はコの字カウンターの中央に座り、客たちのオーダーをすぐ後ろの厨房に伝えつつ上機嫌で客と言葉を交わす。分厚いカウンター、額装された数々の書、先代の肖像写真、格子状に和紙の貼られた天井……この小さな燻し銀の小宇宙で過ごす時間は特別だ。常連たちもみな、この店を心から愛していることが分かる。因みに3代目は「兵六~風を感じるこだわりの居酒屋」を上梓した文筆家でもある。古書店など覗き夕刻には兵六で一献といきたい。     (似内志朗)