総合

彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇90 ポストコロナとは 気付きに気付くこと 分岐点迎えた不動産業

 「ポストコロナとは何か」が問われている。そもそも、ポストコロナとはどういう意味なのか。筆者は、コロナ感染終息後に見えてくる社会の微妙な変化、あるいは個々の人間にとっては様変わりした、あるいは様変わりしたかもしれない価値観を意味する言葉だと理解している。

   ◇     ◇ 

 その意味で不動産業界にとってポストコロナとは何かを示唆したスピーチを最近、聞いた。6月に開かれた「リブラン55周年感謝の集い」で、4月に同社会長に就任した鈴木雄二氏が行ったスピーチである。

 鈴木氏はこう語った。「マンションの3大要素は立地(place)、価格(price)、間取り(plan)の3Pと言われているが、当社のような中小企業はそれらとは違う価値を創出しなければ大手に勝つことはできない」

 では、その3P以外の価値とは何かといえば、住む人の心をワクワク、ドキドキさせるエモーショナルなものだという。具体的には同社がシリーズ化している夜中でも楽器が弾ける「ミュージション」や、バイク好きのための「ライダーズマンション」「ワインアパートメント」などのコンセプトマンションを指している。

 鈴木会長は言う。

 「これら商品は発売当初こそクレイジーと言われたが、5年もすれば常識になった」

 つまり、ポストコロナとはそういうものではないか。コロナ終息直後は半信半疑だった世の中の変化も、個々の人間が抱き始めた価値観の変化も、あとで振り返ってみれば、やはりあのときのコロナが起こしたものだったと気付くことである。

粗雑な日本

 数日前、我が家の近所で解体工事が始まった。最近はめったに見られない深い軒を構えた豪壮な家で、老朽化した感じもなかったので驚いた。住宅の解体風景はつねに殺伐なものだが、コロナ以前の私はそうした現場に遭遇すると興味本位で見とれてしまったものだ。しかし今は強い違和感を覚える。

 たとえ解体のためとはいえ、ずっと深窓の奥に隠れていたプライベート空間が白日の下にさらされる違和感である。人が長く暮らし、生活感が染みついた住宅の解体はせめてブルーシートで覆うぐらいの気遣いがあっていいのではないか。

 長い間積み重ねてきた暮らしの痕跡に対するあまりに粗雑で無神経な対応に驚かされる。これが自然界のすべての現象、物、場所には神が宿るとして八百万の神々を信仰してきた日本人の所業とはとても思えない。というかすかな気付きがコロナ下で私の中に起こった小さな変化である。

住まいの本質

 戦後、日本の住まいは「nLDK」信仰に象徴されるように部屋数や専有面積など数値にばかりこだわり続けてきた。そうではなく、個々の部屋が醸し出す雰囲気や部屋と部屋とが編み出すハーモニーに思いを馳せるべきである。

 なぜなら、家にいるとき、人は家全体の床面積を意識しているわけではなく、そこに身を置いたときの心のやすらぎ、部屋から部屋へ移動するときのかすかなときめきを楽しむものだからである。

 世界の共通語に「神は細部に宿る」という引用句がある。これは細部へのこだわりが作品の本質を決めるという意味だが、家づくりにも当然あてはまる。リブランが3P以外の価値観にこだわるのも、細部のデザインにこだわることでより質の高い空間を出現させ、住まいの本質に迫ろうとするためである。

 住まい手に神が宿ると感じさせるほどの細部へこだわりを住まいの造り手が持たなければ、この国に住文化は生まれない。

 住宅不動産業は今、量から質へという大きな分岐点を迎えている。これからはハードとは別種の「内需の柱」を見出さなければならない。そこに気付くことこそ、不動産業界にとって最も重要な〝ポストコロナ〟であると思う。