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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇63 「思想なき住まい」という反省 不動産を超える不動産とは 感性で自分を捉える基盤

 分譲マンションなどの普及で、「家を購入する」という感覚が一般化している。しかし、仮に購入するにしても、「家を建てる」という心構えのようなものが必要ではないか。というのも人生最大の買い物をするわけだから、そこにはそれなりの哲学があってしかるべきだと思う。

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 住まいはしばしば〝生活の基盤〟といわれるが、何をもって基盤とするかはまさに哲学的問題である。哲学者でなくとも、人は基盤となるべきなんらかの行動規範をもって生きたいと願う。しかし、現実にはそのように明確な基準をもって生きることは難しい。だから例えば「自分の感性を大切にする」とか、「幸せになる勇気を持とう」といった類のものであってもいいと思う。住まいとはそうした漠とした心情を形にするためのものなのではないか。

 地域ディベロッパー、リブラン創業者の鈴木静雄氏は「思想なき住まいは、ただのガラクタ」と断じている(本紙9月13日号11面)。では、思想なき住まいとはどういうものを指すのだろうか。

 鈴木氏は言う。「不動産会社は、住まいを〝良質な不動産〟として売ればいいということではない。住まいが住人にどういう幸福をもたらすかを住み手と共に考える責任がある」。この住み手と共に考えるという姿勢こそ、これまでの不動産業界に欠落していたものではなかっただろうか。家はまさに、施主と施工者が心を一つにして〝建てる〟共同プロジェクトなのである。

 とすれば、次に我々が考えるべきことは「幸福とは何か」である。これは難問だが、筆者は「自分らしく生きること」だとシンプルに考える。自分らしく生きるためには自分とは何かがわかっていなければならない。八百万(やおよろず)の神を持つ日本人にとっての自分とは自然(宇宙)の一部であるから、存在するという意味では絶対的であり、流転する万物という視点では相対的存在ともなる。

不確かな自分

 自分とはそのように不確かで捉えようのないものだからこそ、「自分らしく生きられる環境を備えた住まいが幸福をもたらす」のである。例えば音楽を愛好する人なら夜でも楽器を弾くことができるマンションとか、車好きの人なら愛車と寄り添うように暮らすガレージハウスなどのように明確なコンセプトをもった住まいはそうした類型の一種といえるだろう。

 ただ、自分らしく生きるということはそのように趣味を楽しんだり、田舎暮らしをするなど目に見える形とは違う種類のものではないかという気もするのである。先に「住まいとは漠とした心情を形にするためのもの」であって、そうやって自分らしく生きることが幸せにつながると言ったことと矛盾するかもしれないが。

 そこで思い出していただきたいのが「E=mc2」という有名なアインシュタインの公式である。エネルギーは質量と光速の二乗を掛け合わせたものに等しいという。つまり、あらゆる建物は目に見える物質でできているが、その物質は原子の世界にまで下りていけば目に見えないエネルギーによって結びつけられている。目に見え触りもできる物質が目に見えない力によってできているという〝矛盾〟こそがこの世の真実のようにも思えるのである。

 宇宙の始まりも、生命誕生の仕組みも所詮は永遠の謎である。無から有が生まれる仕組みは誰にも説明できない。永遠の謎こそがこの世の正体と捉えれば、住まいの役割が見えてくる。

 宇宙が人間にとって最も大きな環境なら、住まいは最も身近な環境である。身近だからこそ宇宙からのシグナルを肌に感じることができ、心をワクワクさせることができる。「住まいは生活の基盤」という言葉には、日々の暮らしを心躍るものにしてこそ住まいであるという意味合いが含まれている。