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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇52 伝わる言葉・受ける力 対(つい)の構造が意味を生む 生があるから死があるように

 人生も、生きている充足感も日々の暮らしの中にある。「日々生きている」という意識の中にこそ、幸せがある。それは間違いない。

 本コラムは「人間にとって幸せとは何か」を大きなテーマの一つとしているが、筆者一人が幸せとは何かを考えたところで、実はそこに大した意味はない。大切なことは、考えたことをどう伝え得るかである。

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 この世で意味があるのは何かを変える力である。もし言葉が人の心を動かし、その行動を変えることができたなら、はじめてそこに言葉の意味が生まれる。ただ、人の心を動かす言葉が生まれるためには、同時に人の言葉に感動する心や感性を備えた人がいなければならない。

 つまり、この世はすべて〝対(つい)〟の構造が意味をなす。右があるから左があるように。生があるから死があるように――。

共生の関係

 営業と客の関係も対である。一方的に〝追客〟などということはあり得ない。営業と客は対の関係だが、対立ではなく「共生」の関係にある。 まして、「幸せ」という、人それぞれ異なるものを希求する商品を扱う営業であれば、その客と同じ世界に飛び込んでこそ商談が進む。

 住まいを求める人が不動産会社の敷居を高く感じるのは、客から見て、こちらの世界とあちらの世界が別世界に見えるからである。「こちらは幸せを求めているのに、あちらは利益を求めているのではないか」と。

リアルとは何か

 VR(仮想現実)やAR(拡張現実)などの技術が進むと、不動産会社の敷居が思いがけない方向から取り外される可能性がある。メタバース内ではこの世と同じ経済活動(メタバース内にある不動産の取引など)も行われるなど、その〝現実感〟は半端ではない。

 いや、現実世界以上のリアリティをそこに感じ取る人たちが登場しつつある。まさに、ここにも創る側と感じる側との〝対〟の世界が生まれている。

 現実世界以上のリアリティとは何を意味するのか。話を不動産業界に引き寄せれば、現実世界では恐くも高くも感じられた不動産会社の敷居が消滅する可能性を秘めている。

 バーチャル店舗開発を手掛けるCyberMetaverse・Productionsの中野英祐氏によれば、「バーチャル空間は新たな販売チャネル(経路)になる」と指摘する(8面記事参照)。 対面では生身の営業社員との接触に心的圧迫を感じる人も、他の客と同時に営業社員を囲みながら座談会風に話し合う〝広場〟であればリラックスできるだろう。

 あるいは営業社員のアバターが、人気漫画『正直不動産』の主人公・永瀬財地(嘘が付けない営業マン)となって登場しても面白い。

同じ価値観を共有

 メタバースの仮想店舗では、客が相談する営業社員を事前に予約しておくシステムも一般化していくだろう。営業社員を選ぶ基準も多面化していく。例えば、社員が「住まいと幸福」をテーマに執筆した論文を事前に見ることができるようにする会社も現れるかもしれない。なにしろ、客にとって住まいは「幸せ」になるためのものだから、住まいがもたらす幸福について同じ価値観を持つ人間に対応してもらいたいと思うのは当然である。

 このように仮想店舗での様々な工夫を重ねていくうちに、いつの間にか客と不動産会社との間にあった垣根が取り払われていく。なぜなら、不動産業に携わる人間はこれまで業界特有の既成概念に縛られてきたからだ。

 「売り(賃貸)物件を確保しなければ仲介業は成り立たない」「大手ポータルサイトに多額の広告費が掛かるのはやむを得ない」「不動産業は営業の力がすべて」など硬直化した概念が多過ぎたのが不動産業界である。メタバースが提供する販路はそれら常識を覆す可能性を秘めている。