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大言小語 言葉の耐えられない軽さ

 各種報道やネットを介し、今も連日のようにウクライナ情勢の悲惨な状況が伝えられている。資源や資材の流通に対する悪影響はもちろん、ロシアに拠点を持つ我が国の住宅・不動産会社もあり、業界としても極めて深刻な懸念事項であろう。

 ▼何より、戦争・紛争時におけるプロパガンダの可能性を踏まえても、かの地で今、重大な人権侵害が発生していることは疑いようもない。折しも今年3月は、本邦初の人権宣言とされる「水平社宣言」から100年目の節目。改めて人権のあり方を見つめ直す時期に来ているのかもしれない。

 ▼気になるのは、少し前に大きな批判を浴びた、eスポーツ選手による「低身長の男性には人権がない」という発言だ。確かにゲーム界隈では珍しくない表現ではあるが、比較的若年層向けのサブカルチャーにおいて、近年は人権のほか〝死と復活〟や〝奴隷〟といったセンシティブな言葉が、著しく軽く安易に使われているケースが目立つ。世情に結び付けてミラン・クンデラの名作になぞらえれば、〝言葉の耐えられない軽さ〟というところだ。

 ▼翻って省みれば、報道機関はどうか。不動産に関わる分野でも、例えばささやかなデジタル化をDXと称したり、住宅購入予算を持たないだけで〝貧困〟と決めつけるような記事を目にすることがある。報道の責務を再認識し、言葉に一層の注意を払っていくことが必要だと感じている。