政策

社説 量から質へと言われて半世紀 〝新・住宅双六〟の構築を

 1973年には全都道府県で住宅ストック数が世帯数を上回り、住宅政策の目標は「量から質へ」と変わった。それから半世紀。今、住宅市場はどう進化しただろうか。耐震・耐久・省エネ性能は各段に向上し、IoTによるスマート化も目覚ましい。流通市場でも「長期優良住宅」「安心R住宅」など流通促進に向けた環境整備が進む。しかし、何かが欠けている。

 今、フローの結果であるストック市場最大の課題が空き家問題だ。空き家増加の本質的要因は何か。それは核家族社会を背景に家が「一世代限り」のハコになり下がっているからである。

 今、数十年前に供給されたマンションは〝2つの老い〟問題に悩まされている。いつまでも住民の合意が得られなければスラム化の道をたどるしかない。出口戦略を欠いた区分所有法のほころびが築年と共に露呈しているからである。その上に同法が当初想定していたよりもマンションの巨大化・超高層化が進んだことが問題を一段と難しくしている。

 今、自宅のリースバックが思いのほか高齢者世帯からの需要を集めているのはなぜか。それは苦労して持ち家を取得したとしても、誰にでも老後の安寧が約束されていたわけではなかったという当たり前の結果が出現しているからに過ぎない。

 賃貸住宅に目を転じても民営借家の平均床面積は45m2と狭く、なんとこの30年間変わっていない。欧米では狭いほうの英国でも65m2だ。つまり子育て世帯にとって日本の賃貸住宅は持ち家への憧憬を強める〝仮住まい〟的存在でしかないのだ。 

 このように見てくると、日本の住宅環境は国民を幸せにする十分な要件を備えているとは言い難い。そこには「量から質へ」と言われながらも、住宅の質をハード面から捉えることしかしてこなかった過ちがある。

 人間はハードの豊かさで幸せになるわけではない。幸福とは心が満たされることだから、住み手を幸福にするための要件を住まいが備えるためにはそもそも「幸福とは何か」を究める必要がある。

 例えば、自宅のリースバックに対する需要が増えている理由を別の角度から見れば、高齢者の多くが〝我が家に住む〟幸せは、それが持ち家か賃貸かということとは無縁であることに気付いた証左かもしれない。つまり、住まいとは所有か賃貸かを超えたところにその本質がある。土地神話が崩壊し、住宅取得は資産形成ではなく、賃貸も含めそこに住むことで得る心の充足でなければならない。そこで暮らす楽しさ(幸福の総和)を競う〝新・住宅双六〟の構築が求められている。業界は住宅のハードの質を高めていくだけの製造業にとどまっていてはならない。生活の中心・基盤である住宅を介して、人間の幸福について考える高次のソフト産業へ脱却すべきである。