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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇5 コロナから学ぶこと 〝人間産業〟への道 見失わない豊かな感性を

 来年にもコロナ収束の道筋が見えてくるかもしれない。そこで、結局「コロナから学ぶべきこと」はなんだったのかを整理しておきたい(社説参照)。オフィスビルは大規模化すればするほど竣工までの期間が長いし、竣工後は何十年も存続する。住宅も今後は人々のニーズが大きく変化するかもしれない。アフターコロナ社会を見誤ることは、不動産会社の運命を左右する大事となる。

 コロナ後の社会に注目が集まる一方で、コロナが収束すれば社会は元に戻るとの見方も根強い。ただそうだとしても、全世界の人々が2年以上も苦しんだ体験から何も学ばないというのもおかしな話である。「いやいや、何も学ばないとは言っていない」と答える人にあえて聞きたい。では、何を学んだのか――と。

 いずれはコロナが収束し、朝夕の通勤ラッシュが復活したとしても、元に戻らないものがある。それは潜在意識を含む人々の意識である。最も強く人々の心に残ったのは「何が起きるか分からない社会・時代になった」という意識である。それが、「日々の暮らしを見直し、今まで気付かなかった些細なことにも喜びを見つけよう」という意識にもつながっていく。

 さらには、「そうやって育てた豊かな感性の中からしか、人とのつながりは生まれない」という新たな意識も芽生える。なぜなら、今回のコロナ禍の体験で、人々は自分一人だけの努力ではどうしようもない災いがあること、互いに理解し合い、同じ目標に向かって努力しなければ人類が破滅してしまうことさえ起こる――そんな時代になったことに気付いたからである。

 では、コロナ後の社会がどう変化するのかという極めて重要な判断を間違わないために、事業者に求められる素養とは何か。それは、人間はしばしば目的と手段を取り違える生き物であるという認識である。今回のコロナ感染拡大防止策をめぐっても「経済か徹底した封じ込めか」という議論が繰り返された。オリンピック開催を巡っても高尚な議論の陰で、要は「ビジネスか国民の命か」という対立であることが露呈した。

経済か命か

 経済は大事でもあくまでも手段であり、国民の健康や命は目的そのものである。どちらを優先すべきかは火を見るより明らかである。つまり、コロナから学ぶべき大切なことは、「私たちには目的と手段を取り違えない健康な精神と、みずみずしい感性が必要だ」ということではないか。 住宅・不動産業界はそうした私たちの日常生活をハード・ソフト両面からサポートできる唯一の産業である。だからこそ、人間への深い探求を責務とする〝人間産業〟としてこれからも成長していかなければならない。

 一方で、コロナウイルスは完全に収束することはないという見方もある。変異に変異を繰り返しながらしぶとく存在し続けるという説である。 あるいは地球温暖化の進展で永久凍土が溶けていくと、今後は2、3年置きに新型ウイルスが人類を襲い始めるという説もある。そうなれば、人々の意識はもちろん、社会のあり方そのものが大きく変わっていくだろう。都市への集積が批判の対象となる可能性もある。そのときこそ、人類は新たな価値観を求めて動き出すことになる。

 ESGやSDGsは誰もが納得する価値観だが、本当に「新たな価値」というのは、人類がいまだ気付いていない価値のことである。それはおそらくテクノロジーの発達と人間の生命に関することだろう。遺伝子解析で人類はあらゆる生命を人工的に造る技術を手に入れ始めた。生まれてくる人間の優劣さえも自由に操れるようになるという。

 命が授かるものではなく造れるものになれば、命の尊厳が薄れてゆく。「造れる」ということは「造ることをやめる」ことも、「造ったものを壊す」こともできるからである。人類は目的と手段を取り違えるだけでなく、自らの尊厳をも失う可能性を秘めた生き物であることにも留意しなければならない。