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社説 東日本大震災から10年 地道な対応が克服への近道だ

 多くの人の命、財産、そして故郷を奪った東日本大震災からもう10年となる。津波などの被害を受けた宮城県、岩手県、福島県などの被災地では、この10年で高台への移転・土地の造成などの整備が進んだ。

 一方、同震災の影響で起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故は福島県に影を落とし続けている。未だふるさとに帰れない人も多く、そして第一原発の廃炉もほとんど進んでいない。10年ひと昔という言葉が、こと大災害には通じないことが見て取れる。

 また、首都圏の住民もこれまでの平凡な日常のありがたさを知った。計画停電による困難な生活、流通の遮断などによる日常品の欠損。そして、原子力発電に頼らない、再生可能エネルギーの普及。更にその後、九州、近畿で起きた大地震や風水害により、改めて日本が持つ自然災害リスクと脆弱な地盤という事実を知らされた。

 この10年間、不動産住宅業界は大震災をはじめとする災害に都度、地道に対応してきた。震災直後から業界団体は、みなし仮設住宅(民間賃貸住宅)の提供など被災者の生活再建に力を注いだ。マンション事業者は大手・中小を問わず、耐震・制振機能の増幅に努めると共に、都市の防災性・事業継続性の向上の取り組みを積極的に行った。また、戸建て住宅事業者も耐震住宅や風水害に強い家を開発。更に応急仮設住宅の建設に取り組む中で、寒さ対策の改修などについて、その後の災害時に標準的な仕様として生かされるなど、常に改善を目指してきた。

 国・地方公共団体も国土強靭化に努めると共に復興を進めた。首都圏では多くの帰宅困難者を出した対応を反省し、綿密な避難計画の作成と津波危険区域の指定、ハザードマップの作成など災害対策は進んでいる。

 しかし、人間を取り巻く自然環境は容赦しない。以前から、巨大台風が来たとき大地震が起きたら、どう対応すればよいのか――など想定はするものの、それ以上の思考を止めていた感のある我々に、新型コロナウイルスのまん延という新しいステージが出現した。そして、今年2月13日の午後11時、マグニチュード7.3の福島県沖を震源とする地震が起き、まさにコロナ禍による避難活動の難しさを体験することとなった。

 それでも、被災地の人たちは冷静に対応した。福島県相馬市の避難所ではこれまでの段ボールによる仕切りではなく、テントを設置し、家族単位での避難に対応。上部もカットして換気に配慮した。同市の立谷秀清市長によれば、自分が指示する前から職員たちが準備に入っていたという。

 これからも災害、感染病、あるいは全く予想されていない疫病が襲うかもしれない。我々は無力であり、地道に対応するしかない。しかし、そうすれば克服できると信じて前に進んでいこう。