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大言小語 空をゆく雲のごとく

 人生は、今日という日から未来に延びている道のことではなく、今日という日そのものである。あるいはこう言い換えることもできる。今日という日は常に、残された人生の最初の日であると。これを普通は刹那主義と呼ぶがそうだろうか。むしろ今日という日の中に永遠の真実を見いだそうという強い意志のあらわれであり、強い意志があればこそ空をゆく雲のごとく軽やかに生きることができる。

 ▼「人生100年」という言葉が頻繁に使われるようになったが、それは幸せなことなのかと人々は戸惑いを感じ始めている。その最大の要因は社会保障制度に対する不安だが住宅不動産業界にも責任がある。なにしろ我が国では住宅の寿命が一戸建てであれ、マンションであれ人間の寿命よりも短い。一生に一度の買い物といわれる住宅を売っている業界として内心忸怩たる思いがあるはずだ。

 ▼ただ、人生の軽重は長さではなく質である。ならば、住宅もハードの寿命ではなく〝住む楽しさ〟の提供こそが大切なのではないか。そこでの暮らしが楽しければ、建物の寿命は自然に延びる。今の日本社会は誰もが将来不安という名の重い鎖に縛られているように見える。解き放たれてこその人生である。

 ▼心と身が自由になれば真実が見えてくる。真実に気付けば人生は例え一日でも十分に楽しむことができる。「雲のように軽やかに生きる」と言ったのはそういう意味である。