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大言小語 サンマとカタール

 「逃げろー」の掛け声と共に若者たちが一斉に高台へ駆け上る。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町。毎年3月に行われる「復幸祭(ふっこうさい)」名物、津波の記憶を伝える「復幸男」レースである。水産加工業を営む阿部淳さん(41)たちが、批判を浴びながらも翌年から実施してきた。兵庫・西宮神社の「福男選び」をまねた行事である。

 ▼1年前、JR女川駅が開通し、12月には駅前商店街とプロムナードもできた。観光客も増えたが、住宅は仮設住まいが続く。がれきの山から復興へ向かうサンマの町。第一の希望の灯となったのがカタールの支援で翌年にできた水産加工場。それを足がかりに生き残った若者を中心に第二、第三の灯を求めて奮闘する。その姿を描き出したのがドキュメンタリー映画「サンマとカタール」(乾弘明監督)である。

 ▼3月7日、都内で行われた試写会には監督のほか登場する阿部さん、女川魚市場買受人協同組合副理事長の石森洋悦さん(59)らが登壇した。会場には駐日カタール大使、支援した企業や地元関係者らが詰めかけた。そこで「人は一人では生きられない。5年の節目と言われるが、通過点に過ぎない。行きつく先が10年後か20年後か分からないが、我々は目の前のことをやるだけ」と述べた阿部さんの言葉は重い。だが、映像を通じて逆に大きな勇気をもらった気持ちになるのは不思議だ。