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大言小語 帰省ラッシュが消えるとき

 年度末に自治体が予算消化のため道路を掘り返す話はよく聞くが、街路樹の枝を伐採するのもその一つだろうか。5月になり新緑の季節を迎えたが、3月に無惨にも枝を切り落とされた銀杏の樹は今、幹の切り口付近から必死で顔を出した小さな葉が悲しげに風に揺れている。これではうっそうと繁る青葉で真夏の日差しを遮る街路樹本来の役割が果たせない。

 ▼東京にはアスファルトで固められた舗道しかない。いや、多くのサラリーマンの自宅がある郊外もそうだ。土の上をジョギングしたいときは公園に行くしかない。人工物で埋め尽くされた都会で生活していると、子供の頃遊んだ故郷のあぜ道をふと思い出す。

 ▼今年もゴールデンウィークの帰省ラッシュがニュースになっていた。あの光景は東京生まれの人にはどう映るのだろうか。もっとも、いずれは都会に住む誰もが、帰る実家をなくしてしまう日が来るのだろうか。そしてあの風物詩が消えたとき、日本という国はどうなるのか。

 ▼「里帰り」という美しい言葉も死語になろうとしている。「お里が知れる」ことを怖れたから昔の日本人には背骨が通っていた。三つ子の魂百まで――寄る辺だった故郷も既にない都会の高齢者は、せめて近所の居酒屋で昔話に花を咲かせるしかない。時代の価値観を共有し、話をすることができる呑み友達が近くにいることに感謝しながら。