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大言小語 放棄地のような山

 お宅の山の木が倒れて道をふさいでいる。何とかしてほしい―と言われて、所有者の高齢女性は、さて困った。もう何十年もその里山には入っていない。義父と何カ所か、山の下刈りや枝打ちの手伝いに行ったことはある。現場を確かめようと思ったが、〝道なき道〟である。山は荒れ、境界はもちろん、所有者が誰かなのかさえ分からないのが実情だ。

 ▼ある地方の集落での話。その相手は、30年以上も前に死んだ義父の「名前を頼りに」探し当てたというが、現場が本当に「うちの山」かどうか確認できない。夫から何カ所かの山林を相続した。子供はいるが、山に入ったことはない。一帯は既に何年も前から〝放棄地〟状態。そんなご時世だから、林業を志す人が出てくれば、提供してもいいと思うが、そうした話は聞いたことがない。要請された倒木処理の目的が、その地主が単に所有地を確認するだけだとしたら何の救いもない。周りの零細所有者にとって迷惑とも思う。

 ▼国有林や企業・組合などの組織的な山林経営が行われている土地を除くと、どこも似たような問題を抱えている。外材の輸入が始まった60年代半ば以降、山林の荒廃が始まった。今では、木を切り出す手間賃も出ないと言われるほどだ。山林経営は難しくとも、地域振興と地球環境にとって、山は貴重な資源である。見直し機運もある。荒れた山を再生する第一歩を踏み出す、具体策を願わずにいられない。