他人の行為を批判する場合、自らを省みてその批判をするだけの資格があるのか、常に考えるようにしている。してはいるのだが、なかなか難しい。茶の間でテレビ相手にツッコミを入れるぐらいなら、そこまでしなくてもいいだろうが、記事を書く場合にはそうはいかない。
▼これまで、新聞を始めとするメディアは刑事事件が起きると逮捕された容疑者の段階から、ほぼ犯人であるという論調で報じてきた。刑事法上は、推定無罪が働き、有罪判決を受けるまでは誰もが無罪なのだが、逮捕=有罪であるかのような。村木厚子さんの事件や布川事件など、その最たる例だろう。
▼政治家に対しては逮捕にまで至らないのに、あたかも罪を犯したかのような報道もある。こうした場合、メディアは「政治家は清廉潔白であるべきで、当時の法律に違反していなければいいのか」「違法性はなくても、倫理上問題があれば説明責任を果たすべき」といった姿勢を取りがちだ。そのせいか、毒もないが魅力もない議員が増えているような気がする。
▼では、これまで政治家の倫理を問うていた側が、「自分たちの決めたルールは単なる目安であって、これから逸脱した行為であっても責任はない」と強弁したら、読者はどう思うだろう。「震災復興のさなか、昔のことを持ち出してもしょうがない」との見解を掲載しているようでは、報道の信頼性は失われる。