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「3.11」の記憶

 「3.11」から1年。あの時、あなたはどこで何をしていましたか。東京にいた人の反応はいろいろだった。時間の経過と共に「実は」と話し出す人もいる。恐怖の度合いにもよるし、利害得失が絡む場合もある。関係するまちや建物などの「マイナスの情報を出したくない」思いもあるだろう。

 ▼だが、各地の現場にいた人が撮影した映像が多くを語り始めた。長く大きな揺れに人々は翻弄され、必死でこらえ、避難する様子が映し出される。外観は何事もないようでも、都市基盤も建物も少なからず被害を被ったのである。道路工事やビルの補修工事が続いたのはそのためだ。同じ地震動に一緒に揺さぶられ続けたのに、地域や建物によって被害状況に違いが出たのはなぜか。その要因をきめ細かく検証する必要がある。「今だから話そう」は、安全・安心につながる前向きな証言なのだ。

 ▼そのとき首都圏も悲喜こもごも、様々な人間模様があった。自宅で、事務所トイレで、電車・バスの中で、路上で、超高層ビル上階でなど、場所こそ異なるが、一様に「ただならぬことが起きた」と思った。そして電車が止まり、道路には車と人があふれ、誰もが帰れなくなった。地下鉄・私鉄が夜中に動き始め、道路が通行できたのは幸運だった。予想される首都直下地震への備えは、「あの日」の経験をベースに、場面の一つ一つを点検しながら対応したい。