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大言小語 光は当たる

 「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という有名な狂歌を、巷間で見聞きする機会がまた増えた。自民党のパーティー券事案や、それに絡む政治倫理審査会を受けてのことだ。歌の通りの意味と、「こうあってはならぬ」という意味との両方で使われている様子だが、現在の政治が「濁っている」という評価は共通認識のようだ。

 ▼とはいえ、政治の世界が「魚も住めないほどクリーン」だと思っている人など、以前からほとんどいなかったことだろう。やや極論を言えば、現在の状況は、以前からの〝公然の秘密〟が明るみに出たに過ぎないのかもしれない。

 ▼振り返ると、大手芸能事務所の性加害問題や技能実習制度の実態など、近年はそうした〝暗黙の了解〟に光が当てられる事例が多いようにも感じる。そして基本的に、発覚の契機は内部の自浄作用ではなく、影響力のある他者の指摘などの「外圧」だ。

 ▼さて、住宅・不動産業界の内実はどうか。「本当は良くないことかもしれない」と思いながら、見ない振りで続けている慣習はないか。いざ外部から指摘や批判を受けた時に、自身や自社が問題なく存続できる自信はあるだろうか。具体的な課題等は、小紙もたびたび指摘しているつもりなので、ここで言い立てはしない。ただ「長年の〝暗黙の了解〟にも、容赦なく光が当たる時代になってきているのでは」とだけ、改めて言及しておきたい。