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大言小語 遠ざかる〝昭和の常識〟

 大雑把な性分のせいか、書類申請に苦戦しがちだ。特にたまにしかする機会のないものは、大抵忘れたころに必要となり、物覚えの悪さも相まって、毎回悪戦苦闘を余儀なくされる。通勤交通費の変更手続きなどは、その典型だったのだが、いまや原稿入稿より手慣れたとすら感じるに至った。

 ▼といっても、記憶力や事務処理能力が改善したわけではなく、今年に入り、3度も通勤交通費が上がったので、さすがに記憶や身体に染み付いたのが実情だ。3月半ばに地下鉄の料金が10円上がったのを皮切りに、7月には地元のバス代が、そして10月には自宅の最寄りの路線が相次いで値上げした。その結果、わずか半年ほどの間に通勤交通費は片道72円も上がった。バス代に至っては、コロナの自粛解禁に伴い出社回数が増えた途端、従前の210円から一度に40円も上がり、運賃値上げと連日の猛暑とのダブルパンチに見舞われた。

 ▼駅のビル直結などの工事が進み、利便性は高まるなど、料金が上がった分のメリットは享受しているはずだ。と思いきや、先日、駅ビル内で従前通りのルートをたどったはずが、真逆の出口に着く事態に陥った。どこで何をどう間違えたか、正直見当も付かない。先輩記者いわく多少の方向音痴でも、目的地が都心部なら「昔は東京タワーさえ探せば何とかなった」らしいが、もはや現実とは思えない。〝昭和〟はすっかり遠ざかったようだ。