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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇66 深化するTVコマーシャル 65%がちょうどいい 「家は生きる場所へ」

 日本では住宅は経年と共に価値が減じていくという思考が根強い。欧米ではそうでもないという。では、その違いはどこからくるのだろうか。もしかしたら、人生に対する意味付け(ライフスタイル)の違いではないか。

 日本人は年を取ることを忌み嫌う。しかし、老いることに価値がなければ長い人生の意味がなくなる。人生に意味があるとすれば、それは若い時には気付けなかったことにも気付くようになることだ。いや、より正確に言えばそれに気付いた者の人生には意味があるということか。

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 大和ハウスの最新TVコマーシャル「生きる場所へ」編は、人気俳優の松坂桃李氏が演じるさわやかな若者が車で買い物に出掛け、その帰りに夕日を眺めたり、家で料理やDIYを楽しむ姿を映しながら、そこに成熟した大人を感じさせる加賀丈史氏によるナレーションが流れる(『』内は若者のセリフ)。

 「この男は、身の丈に合うことを信条として生きている、ごく普通の人間である。…『人間の出来は65%ぐらいがちょうどいい』と考えている。…そんな彼の心の中に、新しい家の姿が生まれた。妻とは『庭のある家で子供を育てたい』と話している。家族が集まる時間は最近むしろふえている。『そんな環境に柔軟に反応してくれる家だ』。

 とはいえ、その家は『完璧でなくてもいい』と思っている。自分と同じように65%ぐらいで、残りの35%は『家族と一緒につくる伸び代だ。家は生きる場所へ。』」

 成熟した大人の声と若い男のさわやかな姿を組み合わせたことで俯瞰しがたい人生の本質が示されている。「人間の出来は65%ぐらいがちょうどいい」というセリフは、まだ自分の知らないことがこの世にたくさんあることを頭では理解している若者らしい照れ隠しではないか。だから、若い彼は「『自分は幸せだ』と人前で軽々しく言わない」のである。人間は誰もが幸せになることを願っているが、だからといって焦る必要はなく、自分の思いに応えてくれる家や家族と一緒にゆっくりと成長していけばいいのだと語り掛けているいいコマーシャルだと思う。

 人間が老いて気付くこととは何かといえば、若い時は常に眼前の状況に心をとらわれがちだが、年を取れば人生の7、8割がたは終わっていると思えるので、眼前で起こっていることにはさほど惑わされなくなるということだ。

住文化の兆し

 確かに、自分が知らなくても存在するものはこの世に間違いなく存在する。しかしそのことをゆっくりと肌身で感じるようになるのが人生であるなら、それはまた楽しいことではないだろうか。

 日本人が家を買うとき中古住宅を敬遠するのは、「どうせ住宅は築年を重ねるごとに価値が減少していく」と思いながら暮らしてきた人の住まいだと思うからである。そうではなく、家も人も共に成長していくという想いで大切にされてきた家だと思えれば、そしてそれが家の文化として浸透すれば我が国の住宅流通市場が大きく変わる。

 国民が家について一つの価値観を共有することは、戦後育たなかった住文化の育成につながっていく。衣・食・住のうち、衣や食に比べて住文化の醸成が遅れたのは、戦後の住宅政策が住宅を景気対策としてみてきたからだとか、住宅が高価であるため購入体験が一生に一度か二度しかないからだとか言われてきた。

 しかし、本当は国民が住宅を耐久消費財としてしか見ず、〝家族と共に生きる場所〟としての深い考察を怠ってきたからではないか。

 耐久消費財だから中古住宅を買うときは、リフォームで新しくするしかないとか、瑕疵保険を付ければ安心して購入できるといった発想しかしてこなかった。それゆえ、市場に出回る物件はハードである不動産としての評価基準でしか見られないが、本当は経年による美しさや風合いといった情緒的価値が評価されるようにならなければ、日本に真の住文化は育たないだろう。文化とはハードではなく精神的なものだからである。