現代人は他人との人間関係に悩む人が多い。それは他人を通してしか自分を見ていないともいえる。しかし、他人を通して見る自分は、他人との相対関係の中の自分でしかない。それは〝鏡の間〟に入り込んだようなもので、どこまで行っても迷路から抜け出すことができない。
だから、ひとはときには他者を忘れ、自分と語り合う時間をもつべきである。そのためには自分と相対関係ではなく、絶対的関係にあるものとの対話が必要になる。それが〝大いなる自然〟だ。ひとは自然の前では無垢な気持ちになれる。ひとも大いなる自然の一部だからである。自然と対話することは、自分と語り合うことである。
自分流も自然
都会で暮らす人間は、他人と他人の造作物に囲まれて暮らしている。だから心が疲れるのだ。家に帰っても、大工や建築家が自分のために建てた家でもないかぎり、そこも他人の造作物である。ということで、せめて自然の息吹が感じられる住まいにしなければ、そこを安らぎの空間とすることが難しい。
救いとしては、躯体は他人の造作物でも部屋の中の飾り付けは自分の趣味を生かすことができる。自分の感性で仕上げた空間であれば、そこは一種の自分流という〝自然〟であり、素直に自分と語り合うことができる。
季節の花を飾るのも、気に入った書家の筆に見入るのも、受験生が「合格必勝」の文字に誓うのもすべて自分と語り合うためである。最終的にはひとは自分と語り合うために生まれてきたともいえる。ひとは大いなる自然の一部だから、自分と語り合うことは大いなる自然に帰っていくことでもある。
では、住まいに自然の息吹を取り込むためにはどうすればいいのか。四方が外気に面している戸建て住宅はいちおう問題ないとして、難しいのは集合住宅である。この問題をいち早く意識し、いわゆる〝戸建て風マンション〟の開発に昔から取り組んできたのが中堅ディベロッパーのリブラン(東京都板橋区、鈴木雄二社長)である。
リブランの決意
例えば、十文字の開発道路が中央を貫く4軒の一戸建て住宅をそっくりそのまま高層に積み上げた格好にし、全戸を二方向以上から日の入る角部屋設計とした「ザ・ステイツ朝霞スペースクエア」(埼玉県朝霞市、94年)。
あるいは日本初で最後と言われた、戸建て住宅の1階(LDK中心の空間)と2階(2つの個室)を同じフロアにして空中廊下でつないだ中層マンション「レスポワール上福岡Ⅱ」(埼玉県上福岡市・現ふじみ野市、86年)など多彩な試みがある。
これらは通常の〝羊羹型〟マンションに比べ建設コストは大幅にアップする。しかし、当時これらプロジェクトの執行を決断した創業者の鈴木静雄相談役はこう語る。
「住まいは光と風と緑に包まれているのが理想だ。子供の成育や健康のためにも自然の息吹が感じられるものでなければならない。しかし、80年代に入ると首都圏では戸建て住宅が平均的な勤め人には手の届かない価格帯になっていった。さりとて、没個性的なコンクリートの箱が並ぶような住まいを(これで我慢しろ)とばかりにお客様に押し付けることはしたくなかった」
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ひとが何十年にも渡って住み続ける住まいを提供するディベロッパーとは何か。その経営者に求められる素養とは何か。筆者が好きな言葉に「人にやさしい家ではなく、人にやさしくなれる家」という、ある住宅販売会社のスローガンがある。人にやさしいといえば自然素材を使った〝健康住宅〟のイメージが強いが、住まいの究極は「家族が家族になる」「夫婦が夫婦になる」「子供が子供らしく育つ」場所である。つまり、一人ひとりが他者にやさしくなれる場所である。
そのためには自分と対話し、自分の本質に近づくことができる空間、光に満ち、風がささやき、緑が詩を奏でる住まいでなければならない。