総合

大言小語 昔ながらの時間

 今年の年末年始は好天に恵まれ、清々しい気持ちで過ごすことができた。我が家の年末は毎年、静岡県の実家に帰省し、餅つきをしている。それぞれが忙しく、なかなか会う機会も少ないが、親戚が実家で顔を合わせ、新しい家族を紹介するなど、お互いの状況を知るいい機会となっている。餅つきだけでなく、薪ストーブに使う薪割りも私に課せられた仕事だ。田舎暮らしを体験できる本当に貴重な機会だ。もち米を蒸すための焚き火を見ながら、昔ながらのゆっくりと流れる時間を満喫し、まさに〝命の洗濯〟をすることができた。

 ▼年が明け、新年は自宅で過ごした。子供の頃、正月の三箇日はどの商店も休みだったので、新年の準備は年末までにしなければならなかった。しかし、今はその必要はない。地元の大型スーパーは元旦から営業しており、必要な食材を購入することができる。実際に出かけてみると、客の多さに驚かされた。便利ではあるが、子供の頃の「日常とは違う正月」が失われつつあるようで、なぜか違和感を覚えてしまう。

 ▼本音を言えば、年齢的にも餅つきや薪割りはきつい作業だ。新年は筋肉痛で迎えている。当然、餅は正月に商店で買うことができる。利便性の向上はありがたいことだ。高い利便性を享受しつつ、できるだけゆっくりと流れる昔ながらの時間を、子供たちにも伝えていきたいと思う。