政策

社説 「防災の日」点検の機会に 地域コミュニティで「共助」を強く

 9月1日は「防災の日」。1923年のこの日正午前、相模湾を震源とする震度7の大地震が発生、建物の倒壊と火災で、東京・横浜を中心に約20万人が犠牲になった。関東大震災である。その災禍を記憶にとどめ、教訓として生かそうと制定されたのが「防災の日」である。各地で大がかりな防災訓練が行われるが、昨年の東日本大震災が発生した3月11日と共に、日ごろ忘れがちな大地震に対する備え、身の回りを点検する機会としたい。

 点検するのは、大地震への備えと、地震が起きたときの対応である。「もしものとき、あなたは、家族は大丈夫ですか」と問いかけながら。身の安全、緊急時の備蓄食料や貴重品などの持ち出し袋の用意、更に避難する場所や連絡の取り方は確認できているか。その前に、住んでいる住宅の耐震性は確保されているか、家具などの転倒や落下防止策はできているか。一つひとつ点検することで、見落としを防ぎ、安心できる備えに近づくことができる。

 3.11の東日本大震災は、「想定外」のことばかりが発生した。その中で蘇ったのが「防災から減災へ」と「自助、共助、公助」の考え方と具体的な展開である。「自然は人間の想定を超えるものである」こと、「災害の発生は避けられないが、被害をより小さくくい止める減災の考え方が必要である」こと。国、地方公共団体などが果たすべきこと(公助)と、自ら身を守ること(自助)、更に地域単位で守るべきこと(共助)を役割分担しながら備えることが重要であると確認されている。

 この中で、大きなポイントとなると思われるのが共助だ。東日本大震災では津波での犠牲者が最も多かったが、阪神淡路大震災のときは家屋倒壊だった。その時、多くの人が倒れた家の中から近所の人たちに助け出された。救助隊が到着する前に、人々の命を救うのは地域の人たちなのだ。

 その近隣とのコミュニティを再構築することこそが、防災・減災への重要な第一歩である。顔を覚えてもらえば、「○○さんがいない」と、助け出してもらえる可能性が高くなる。実際、東日本大震災のとき、埼玉県南部のある戸建て団地では、自治組織が自主的にお年寄りの安全、安否確認をして回り、住民に報告したという。

3.11で変わったこと

 3.11を境に、人とひとの絆、地域の絆、コミュニティの大切さがクローズアップされるようになった。大きな被害を受けた東北3県から関東の沿岸部だけでなく、東京都心でも公共交通の混乱で帰宅難民が大量に発生。多くの人が自然の脅威を思い知らされると同時に、家族や職場だけでなく、地域の人たちとの関係、コミュニティ形成の必要を感じ取ったからだ。疎遠になっていた地域との関係をどう築き上げるか。これは個人だけでなく、地域、行政が挙げて取り組むべき課題である。防災だけではなく、孤立死が問題となる無縁社会という日常への対策でもある。その意味でも「共助」の力を強くしたい。

 東日本大震災被災地の復旧・復興への歩みは、スピード感があるとは言い難い。津波被害エリアの多くは、今なお槌の音は聞こえない。また、東京電力福島第一原発事故は一向に収束の目途が立たず、10数万人の福島の人たちはふるさとを失い、避難生活を余儀なくされたままだ。防災の日こそ、こうした人たちに思いを寄せると共に、来るべき大地震に対する備えの気持ちを新たにしたい。