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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇111 住宅流通を阻む諸要因 住まいを見る眼ひらくのは今 社会をつなぐ公的資産

 日本では住宅が社会の共有資産ではなく、個人の私的財産となっている。当然なのだが、これが流通活性化にとって大きな心理的障害となっている。売る側も買う側も損得勘定が先に走ってしまうからである。

 江戸時代の武家は、住まいはその役職や石高に応じて藩から貸し与えられるものであったから個人所有という感覚はなかった。藩に尽くすことが仕事であり、家はそのための基盤であった。それに対し現代のサラリーマンはなるべく大きくて立派な家を持つことが人生の目標であり、会社に勤めることはそのための手段となっている。

 そうしたメンタリティを庶民に根付かせたのが戦後の持ち家奨励政策だった。マイホーム、マイホームパパという言葉が流行り日本人の小市民化を助長していった。しかし、戦後同時に広まった〝核家族化〟で、皮肉にも住宅を私的財産とすることの虚しさが痛感されるようになる。せっかく取得した家も子供たちが巣立ってしまえば、高齢夫婦だけのさびしい居場所となり、果ては老いた親が一人で暮らす体のいい現代の〝姥捨て山〟となっている。そして巣立っていった子供たちも、いずれは親と同じ末路をたどる。こうした空しい細胞分裂を繰り返す核家族社会は既に時代的使命を終えているのに、誰もそれを言わない。

目立つ対症療法

 大型台風が来ると聞けば窓に板を打ち付けたり、懐中電灯を用意したりと準備に余念がないのが日本人。これに対しドイツ人は「なぜ最近の台風は大型化しているのか。異常気象の原因は地球温暖化のせいではないか」と考え、火力発電から再生可能エネルギーの方向に舵を取ったのだと聞いた。その真偽は別にしても、日本は本質に迫るのではなく対症療法で済まそうとする傾向があるのは確かだろう。その典型が最近では空き家対策だ。出てきた空き家をどう活用するかということも大事だが、元を断つにはその大本にある核家族社会に代わる〝新たな家族像〟を模索することのほうが重要である。 核家族社会では家が一世代だけの超耐久消費財になっているので、その役目を終えれば超粗大ゴミとならざるを得ない。今は医療の世界でもこれまでの対症療法的な西洋医学から、病気の根本を治そうとする東洋医学もしくは病気そのものではなく患者を人格をもった人間としてトータルに捉える統合医療が注目されるようになってきた。

〝粗大ゴミ〟化

 では、住宅の粗大ゴミ化を防ぐ統合策はあるだろうか。統合医療が病気そのものではなく病人を人間的にト-タルに捉えるように、住宅とはそもそも何なのかという深い視点が必要である。冒頭で述べたように、今は住宅を私的所有物というよりも社会の共有財産と捉える視点が重要な時代になりつつある。住宅を社会資産と見ることで分断が進む社会が人間的つながりを深め豊かになる。

 だから私的財産ではあってもその根底には建物を次の世代へ引き継ぐことで、建物価値を継承していくという意識を売主・買主の双方と仲介業者がもたなければならない。つまり中古市場はそうした個人間の〝資産リレー〟が公平に行われる場として育成していく必要がある。間違っても売り手が高く売り抜けて買い手が損をするとかその逆とか、まして業者が裏で利益をむさぼるとかのための市場ではない。

 そうした国民意識の醸成を阻んでいるもう一つの要因が〝中古〟という言葉である。16年5月に開かれた「中古住宅・空き家フォーラム」で石井啓一国土交通大臣(当時)は「中古住宅や既存住宅という言葉はあまりよくない。皆さん、何かいい言葉を考えてください」と訴えた。しかしその後、そうした問題意識が引き継がれることはなかった。だが、中古という言葉を使っている限り、住宅は資産であるにもかかわらず耐久消費財であることを業界が自ら認めてしまっていることになる。「中古」という言葉は業界の意識改革をも阻害しているのである。