総合

社説 東日本大震災から1年

あの日のことを忘れない

 東日本大震災が発生してから間もなく1年。東北地方太平洋岸から関東にかけての津波被害に遭った地域は、今なお瓦礫処理などの問題を抱えたまま、全体的には復興への足取りは鈍い。各自治体などが描く復興計画や将来構想も始動したばかりで、地域によって状況や進展度合いもまちまちだが、目指すものは「住み続けられるまち」「将来につなぐことができるまち」である。そこには住宅と仕事の確保と地域の連帯・コミュニティが必要不可欠だ。

 

着実な実行に期待

 例えば、宮城県女川町では、地元産業団体が中心になった復興連絡協議会が2度にわたって復興計画をまとめ、町と一緒に、国などに働きかけながら具体化作業を進めている。「町の再生は暮らしの再生」であると。豊かな海や自然環境を生かした農水産・加工から観光などを含めた産業振興と安全・安心な暮らしを目指している。2月に復興庁が発足して国の支援体制も整った。復興特区制度もある。それらが機能して各地の復興・将来ビジョンや様々なプランやアイディアが、着実に実行されていくことを期待したい。

 一方、東北地方被災3県の中で難しい問題を抱えているのが福島県だ。原発事故でいまだに避難生活を余儀なくされ、帰るめども立たない多くの人や地域を抱えて、「復興計画どころではない」現実もある。全国に原発が立地する我が国にとって、この問題は、実は全国民に共通する問題である。エネルギー問題と併せ、早期解決へ全力を投入しなければならない。

 今回の震災は、実に多くのことを我々に教えてくれた。豊かな自然は同時に恐ろしい人知を超えたものであること、安全神話・想定外という言葉は人間の驕(おご)りでしかないこと、省エネ・環境対策が急がれること、家族の絆・地域社会とのつながりが求められていること。更に、不動産・住宅関連では、需要者の安全・安心志向が一層強まったこと、生活・事業継続計画が必要なこと、不動産業界が情報提供した民間賃貸住宅が仮設住宅(みなし仮設)として大いに役立ったことなどが挙げられる。

 震災を経験したことが、我々の暮らしや経済活動の在り方、考え方を大きく変え、目指すものをより明確にさせたとも言える。

 

地域一体で備えを

 いま、首都直下型や東海・東南海・南海の大地震が高い確率で襲ってくることが関係機関から指摘され、その備えが首都圏などで大きな課題になっている。住宅や都市インフラの耐震化など社会基盤を強くするハード面と、防災訓練や救護体制、食料備蓄などを含めたソフト面や、心の備えも必要だ。だが、何よりの備えは、1年前のあの日のことをいつまでも記憶に刻み込んで置くことである。

 地域貢献活動で知られる千葉県大網白里町の大里綜合管理。会社と地域の人たちが一緒に東北地方被災地の救援活動を続け、2月で延べ83回になった。野老真理子社長は現地で「生き残ったら立ち上がり、復興しなければならないこと」を学んだ。「我が町」で震災が起きた場合は会社をボランティアセンターにすることを決めているほか、「仮設住宅用の土地を提供する」と名乗り出る地主もいるそうだ。大震災への備えは、一個人・企業だけでなく、地域と一体になった実践的なものであることが望ましい。