政策

社説 電線のない街は東北から

 ヨーロッパの街並みに触れた時、絵はがきのように美しいと感じることが多々ある。電線類が埋設されていて、地上を覆う電線がないからだ。もちろん、わが国においても、同じ感覚を持てる場所はある。幹線道路や新たに開発された大規模住宅地は、すっきりしている。
 


 国土交通省によると、これまでに約7700キロメートルにわたって、無電柱化が実現している。それでも国全体では2%にすぎない。全国の幹線道路に限っても、13%にとどまっているのが実情だ。
 これに対し、ロンドン・パリ・ボンは100%、ベルリンは99%、ニューヨーク72%で、千里の径庭がある。
 電線類を埋設することは、単に美観の問題ではない。都市づくり、町づくりに対する思想の歴史にかかわっている。
 東日本大震災の被災地では、すみやかに倒れた電柱を除去して、応急的とはいえ、電柱を立て電気を回復させた。しかし、その後はそのままだ。電線類は地上ではなく、地下に敷くのが当たり前と考える土壌がない。
 電線類を埋設することで、その土地の価値が上がることは実証されている。少し前の調査ではあるが、愛媛県松山市の一番町・八坂地区では、平成16年に1平方メートル24万円だった地価が、電線類を埋設・整備した3年後には同26万8000円に上昇した。ちなみに、なにも整備しなかった隣接地では、その3年間に5000円地価が下がっているにもかかわらずである。
 観光地においても、効果てきめんだ。観光都市・京都は当然、福島県・大内宿、埼玉県川越市等々、こちらは観光客の増加につながっている。


 わが国の下水道普及率は75%に達しているが、地上にそのまま露出しているケースはほぼ見られない。もし地上露出の下水道がいたるところにあったならば、いまや我慢できないはずだ。
 電線類が地上を覆っているのも、同じではないか。醜いの一言に尽きよう。
 埋設が進まないのは、地上と比べ10倍とも20倍ともいわれるコスト。加えて国、道路管理者、電気・電話の事業者、さらには地中にある上下水道事業者、そして地元の住民・商店街など利害関係者が多く、乗り越えなければならない壁は高い。
 3月11日のあと、私たちは深い悲しみの中にいた。それでも、ここから立ち上がるために、新しい国づくりへの希望と期待が高まったはずである。しかし復興は遅々とし、時間の経過とともに、元のマインドに戻ってきてしまった感すらある。
 忘れてはいけない。新しい国を、都市をつくる。電線のない当たり前の町づくりは、私たちが今、対峙している一里塚である。